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東直子、山田航、山階基。3人の歌人が、過去と現在を短歌で結びつける 〜後編〜

百人一首が、当時の人の暮らしや感情を記録して後世に伝えたように、短歌はメディアの役割を併せ持つ。時代が変化する今、歌人はどんな歌を選び、どんな返歌を詠むのか。4つのテーマで過去の歌を選び、それぞれに返歌を作る歌会を開いてもらいました。

Text: Toko Suzuki

テーマ:笑

多彩な感情と奥行きが絡み合う。
返歌に表れる個性と技。

山田航

“笑”のテーマで僕が選んだ本歌は、江戸時代に和歌に対するカウンターとして詠まれた狂歌です。

狂歌には、社会風刺や毒のある笑いが多くて、もっと評価されてもいいと思っているんですけど。返歌では「いつ死ぬかわからないから」というような“現代短歌あるある”の典型的な美学を茶化して崩してみたくて、“変な人の歌”を作ってみたんです。

東直子

なるほど。ネガティブを反転させることで、皮肉としての笑いを誘導していますね。

山階基

今回一番いいなと思ったのは、東さんのこの返歌です。
叔母はもういないんだな、と直感的に感じるからなのか、なんでか泣きそうになる。1階の角部屋という設定も面白いですよね。

山田

歌の中に言い切らない部分、どこか見えない、情報を隠している部分があるという手法は元の寺山の歌を踏襲してると思いました。

寺山修司は場面描写で端的に物語を示すのが上手ですよね。
この歌も叔母さんの人となりが伝わってくるし、普通の人がつかむ王道の幸せとは違うものに手を伸ばして、でもつかみ損ねる薄幸な感じや儚さが滲んでいて、好きなんです。

自分にも一番身近な大人の女性としての叔母がいて、もう亡くなってしまったんですけども、彼女を思い出して詠んだので、私も少し泣きそうです。

(本歌)寺山修司

レンズもて春日集むを幸とせし叔母はひとりおくれて笑う

(返歌)東直子

一階の角部屋にいた叔母若く死んだらあげると笑われたっけ 

(本歌)観雪堂鵞習

やがて人を驚かさんと荻のはのうなづきあひし秋のはつ風

(返歌)山田航

半年定期買って半年後のライブ予約してさあ明日を憂うぞ

(本歌)北山あさひ

さらさらと笑って揺れて雨の日はよく竹になる女ともだち

(返歌)山階基

ともだちはともだち指にカリンバをはじいて笑うばっかりになる

テーマ:病

日常生活を隔てる境界として。
切り離せない時代背景。

山田

“病”のテーマで東さんの選んだ相良宏は療養短歌の代表格といえる歌人。

一つのファンタジー的な異世界としてのサナトリウムの白い壁は、病というものを日常生活から隔たせる壁として描く。その点に着目した返歌は、鼻血が健康な日常が壊れる予感の象徴になっています。

最近本当に、顔を洗うたびに鼻血が流れて困っていまして(苦笑)。

鼻血って笑っちゃう部分もあるけど、大病が隠れているかもしれないし、こんな時期だから体が弱っているのかとか感染しやすいのではと一人で自問自答したり、自分の体ながらコントロールできない感じを詠みました。

山田

背景を知っているか知らないかで全然読み方が変わってくることってありますよね。僕が選んだ歌は普遍的な恋の歌ですが、実は賀茂保憲女は天然痘に侵された状態で歌集を編んだ人で、恋ではなく病の歌ともいえる。

ただ、本人は自分の病を意識していたわけでもなくて、当時の正統派に倣って詠んだだけだと思うんです。それが後から流行り病の歌として詠まれるのは果たして正しいことなのだろうかと疑問がありまして。
返歌は、単に会えないのと、新型コロナウイルスが理由で会えないという両方の読み方ができる歌を意図的に作りました。

山階

そういう背景を知らずに読むと、両方ともピンとこなかったんです。賀茂保憲女の歌はベタだし、山田さんの歌は「まだ」の意味合いがよくわかりません。

「月がしずかな36号照らす」がめちゃくちゃいいので、行けよ!36号線を飛ばして行けよ! という気持ちになるというか、微妙に辻褄の合わない感じがしました。

山田

自分で勝手に作った設定では、この「君」はガールズバーの店員っていう(笑)。
36号というのはススキノのメインストリートを通る国道なんですけど、今(編集部注:2020年11月中旬)札幌は感染状況がステージ4になって、街が閑散としているんです。

コロナでお客さんが来てくれないということだったんだ(笑)。

そこまで読み切れなかったですけど、会えなくて切ないというより、このまま別れてしまうんじゃないかというあきらめのような虚しさを感じました。
山階さんの選んだ佐藤佐太郎は、場面を切り取ることで新たな意味を生じさせる、独特な力のある歌人ですね。

山階

そのすごさを言語化しにくいんですよね。みなさん、この歌の背景はどう思われましたか?

山田

「病む五階」が不思議ですね。病院のフロア自体が病んでいるような奇妙な言い方です。
どこか狂っているような感じもある。

病棟の5階にいる自分が窓からほかの人の暮らしを眺めているように思えました。

「人の住む灯」と言っているから、光の中に人が住んでいるという点がポイントで、それを返歌で生かしていて、夜の中で灯る光の中に吸収されていく自分の存在を、引きのカメラで見ているような感じ。
写実的な佐太郎に対して、山階さんの返歌は、想像の中で焦点がどこか合っていないような描かれ方に対称性があって面白いですね。

山階

佐太郎の場合は、自分が病んだことによって、新たな視点の歌が生まれたのかなと思うんです。

自分は体が強くないんですが、世の中には病に倒れるなんて一回も想像したことがない人もいると思うんですよ。でもこういうことを考える人もいるんだよ、という返歌でもあるのかなと思います。

(本歌)相良宏

白壁を隔てて病めるをとめらの或る時は脈をとりあふ声す

(返歌)東直子

顔を洗えば鼻血が流れとりあえずどうにかしようの胸の声する

(本歌)賀茂保憲女

逢ふことを雲ゐとほくて我が恋は命にかよふほどに悲しき

(返歌)山田航

まだ続く君に会えない夜 月がしずかな36号照らす

(本歌)佐藤佐太郎

屋根の下窓のうち人の住む灯あり病む五階より宵々に見つ

(返歌)山階基

倒れたら夜のいずこに灯された室へわたしはかつぎこまれる

転換期に感じる短歌の力。

今思うと、コロナ禍で閉塞しがちな時期に、短歌を読むことで、こういう感性もあるのかと自分の感覚を柔らかくしてくれるようなことがありました。

2020年の春、コロナ禍の日々を日記のように詠む短歌を作って発表したんですが、日々細かく感覚が変わっていくので、今この瞬間のことは詠むけど、その意味は今はわからない。ゆっくり感じて、考えていくしかないなと思いました。

一瞬一瞬を味わうことで自分の次の一瞬も開けていくというような。でも今感じていることはどんどん忘れてしまうので、心を刻むという点は、短歌の一つの役割ではあるかなと思います。

山田

僕は今回オールタイムベストな歌を中心に選びました。でも賀茂保憲女の歌は、今この時期だからこそ選んだのかもしれない。

長いこと短歌をやっていますが、明治以降の近現代短歌ばかり読んでいたので、最近になって古い和歌を読んでおこうと凝り始めたんです。その中の一つが狂歌。
狂歌には、一つところに凝り固まらず、権威を茶化す精神があって。正岡子規や石川啄木も、狂歌に影響を受けていて、その精神はずっと潜伏していることに気づいたりしました。

山階

この春先からもずっと歌を作ってきましたが、ふさぎ込んでしまってほとんど書けないし読めない時もありました。
でも、例えば小説を1冊読むのがしんどくても、短歌や俳句などの短い詩はその小ささのおかげで心に置いておきやすいかもしれない。それがすごくいいところだと改めて思います。

書き手としては、時代や状況といった背景を離れても魅力をなくさないような普遍的な歌を常に目指しているんですけど。