真似も“いい”写真の第一歩。
そこから進んで自分なりの一枚を。
僕自身、写真集はかなりの数持っているし、大切な写真集は何度も見返している。写真集から学んだことは多いと思います。とはいえ、今回のようにある一枚を読み解いたことを直接的に写真に生かしたことは、これまでにない(笑)。
そもそも“いい”というのはきわめて個人的な感覚だから、“いい写真集”は、定義できるものじゃない。一つ言えるのは、“いい写真集”はいろんな読み方ができるってこと。“いい”と思う写真を分析して、その写真を構成する要素を厳密に考えながら模倣してみることは意義深い。そこから自分の写真は出来上がっていく。
写真は簡単に写せる分、その作業を怠りがちだけど、自分が“いい”と思うものが作られた過程を考えると、発見があるものです。
今回は大好きな落語の世界から、超人気の噺家さんがモデルとして登場してくださることになりました。これぞと思う写真集4冊から、それぞれの被写体とのコンビネーションを考えて4枚を選び出して撮影しています。単なる“物真似”には終わらない、僕なりの一枚を目指すんですから、そりゃあ緊張しました(笑)。
『American Musicians』
リー・フリードランダー
フリードランダーが1950年〜70年代にミュージシャンを捉えた写真集へのトリビュート。モデルとなった落語家の柳亭市馬は1961年大分県生まれ。朗らかで安定感のある語り口はもとより、落語界きっての歌自慢。ついにCDデビューも果たした“歌手”でもある。
撮れる喜びに溢れた自由奔放な構図。
「チェット・ベイカー、ビル・エヴァンス、レイ・チャールズなどの大物ミュージシャンから、ニューオーリンズのブラスバンドまで、タイトル通りに1950〜70年代のアメリカのミュージシャンを捉えた一冊。
よく通る美声の持ち主で、どうかすると高座でも朗々と歌い始める柳亭市馬師匠を撮るならば、ぜひ歌っているところを、この写真集へのトリビュートで撮りたいと思いました。選んだのはソウルの女王、アレサ・フランクリンを撮った写真です。
実はフリードランダーは車窓やミラー越しのセルフポートレートがよく知られていて、この『アメリカン・ミュージシャンズ』は、彼の代表作といえる写真集ではない。収録の写真も、LPジャケット撮影の際に撮られたものが多いのですが、やたらと近づいたり、真下から見上げて撮ったり、ものすごい自由なんです。
ひょっとして被写体本人は喜ばない写真かもしれないけれど(笑)、撮る側は撮れる喜びや躍動感に溢れてる。写真ってこれでいいんだよ!と思わせてくれる力のある写真集です」
『Diane Arbus』
Diane Arbus
ポートレートの常識を覆したダイアン・アーバスの写真集より、カップルの写真をチョイス。モデルは柳家権太楼(左)と柳家さん喬(右)。権太楼は1947年東京都生まれ、さん喬は1948年東京都生まれ。いずれも安定した人気・実力を誇る当代の寄席の大黒柱。
被写体から撮影者に投げかけられる視線。
「ダイアン・アーバスは、主にニューヨークで、ドラァグクイーンやフリークスなど、それまでポートレートなど撮られなかった人たちを写真に収めました。
この作品集は、大学生の時に買ったもの。当時は本を解体して壁に貼っていたくらい思い入れがあり、あえて見返さない時期もあったほどの写真集ですが、最近再び見てみたら、彼女は特別な人たちを撮っていたのではなくて、ごく普通にいる市井の人たちに真っ当に向き合っているんだ、と思えるようになった。そんなふうに印象が変わるのも、いい写真集だからでしょうね。
今回は、もの言いたげな男女のカップルの写真をもとに、さん喬師匠、権太楼師匠という大重鎮のお2人を撮りました。この写真において、背景のヌケは意外なほどに重要。あとは2人と撮る側(僕)との関係性ですね。正対は基本ですが、さらに被写体から撮る側へいわく言いがたい視線が来ていることが大切です。佇んでいるだけで落語に出てくる市井の人々の趣があるお2人の被写体力にも助けられて仕上がった一枚です」
『WEEGEE’S NEW YORK PHOTOGRAPHIEN 1935-1960』
ウィージー
20世紀中頃のニューヨークで、事件現場やそこに群がる人々などを、多くはストロボを用いて写したウィージーの写真集へのトリビュート。モデルの柳家三三は1974年神奈川県生まれ。映画『しゃべれども しゃべれども』の落語指導を行うなど若手随一の人気者。
暗闇の正体を暴くフラッシュの心構え。
「事件や事故の現場に警察よりも早く駆けつけて撮った写真が知られるウィージー。この写真集にもそういったシーンが収められているのですが、単なるスキャンダラスな写真ではないのが彼の作品のすごいところ。
暗闇にバシッとストロボを焚いて撮った作品が多いのですが、ストロボやフラッシュを使った写真は、写真が“瞬間”を切り取るものだという側面をより強く押し出します。その前後の脈絡を断ち切るような暴力性があるし、暗闇があれば光を当てて見てみたくなる人間の習性を露わにするものでもある。
今のカメラだとフラッシュは自動的に光ってくれるという程度のものですが、本当は、時間の裂け目を何としてでも見てやる、捕まえてやるっていう気持ちが出てくるものだと思います。今回は、仕事を終えて帰路につく柳家三三さんに、寄席のそばの裏路地を歩いてもらい、ふっと素になる瞬間を探しました。元の写真の矢印サインや文字、パースのかかった構図といった要素が、一生懸命に探せば案外身近で見つかるのも面白い発見でした」
『William Eggleston’s Guide』
William Eggleston
きちんとした写真といえばモノクロだった時代に変革を起こし、“ニューカラー”と呼ばれる一大潮流を成すきっかけを作ったウィリアム・エグルストンによる写真集の一枚より。モデルの柳家喬太郎は1963年東京都生まれ。古典・新作落語の双方を手がける。
何でもないけど何か妙。独特の感覚を表現する。
「きちんとした写真といえばモノクロフィルムで何か意味のある出来事や重要人物を撮ったものを指すという時代は、写真の歴史において実はとても長いんです。エグルストンはそんな状況を覆した写真家。
身の回りの、何でもない風景をカラーで撮った写真が評判となり“ニューカラー”という潮流をつくり出しました。今ではスナップ写真も普通に作品として鑑賞するけれど、その元を辿れば彼に着く。この写真集はそんなエポックメイキングな一冊です。
この中で喬太郎師匠をどう撮るか考えていた時に目に留まったのが今回の一枚。被写体の男の子の面差しが、何だか師匠に似ているというのが理由の一つ(笑)。この写真、見れば見るほど不思議。エグルストンとこの子は親しいのか、あるいは初対面か。
撮影場所はおそらく道路の真ん中なのだけど、なぜこんな妙な場所で撮らなければならなかったのか……。身近にある、でもよく見るとなんだか奇妙というロケーションを探し出しました。ぼんやりと曇った天気も一つの大切な要素です」