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陶磁器ブランドを手がけるマルヒロが、私設公園〈HIROPPA〉を作ったのはなぜ?

はじまったばかりの目新しい取り組みは、その分野を切り拓いてきた先人の試行錯誤を見聞きしたうえで、独自のアイデアを繰り出し生まれたもの。つまり、今考えうる最良の形の一つと言えるのではないだろうか。手がけた人たちに、最良に至るいきさつを聞いた。

text: Saki Miyahara / edit: Emi Fukushima

最新までのいきさつ

1700年:
岡山後楽園が完成。現代の公園のように、藩主たちの憩いの場として親しまれる。(1)

1873年:
明治政府により公園制度が作られ、〈飛鳥山公園〉が最初の公園の一つに指定。

1956年:
都市公園法が制定。人々にとって公園が身近な存在となる。

2005年:
イサム・ノグチが設計した札幌の〈モエレ沼公園〉が開業。公園の可能性が広がる。(2)

2010年:
〈Ginza Sony Park〉や〈UNIQLO PARK〉など、企業活動に公園が取り入れられる。

2021年:
長崎県に私設公園〈HIROPPA〉がオープンする。

岡山後楽園
(1)建物内に水路を通した流店が園内に残る。PJ / PIXTA(ピクスタ)

北海道〈モエレ沼公園〉
(2)北海道札幌市で公園を彫刻作品として設計。写真提供:モエレ沼公園

土地の公共性を問い直し、遊びを誘発する
プリミティブな公共空間。

話を聞いた人:馬場匡平(マルヒロ代表)

BRUTUS

陶磁器ブランドを手がけるマルヒロが、公園をつくったのはなぜですか?

馬場匡平

厳密には公共の場所ではないので、公園ではないんです。しかし誰でも気軽に足を運べて、無料で遊べる広場をつくりたいという夢は10年前からありました。

長い歴史を持つ波佐見焼ですが、だんだんと斜陽産業になってきています。その状況下でできることといえば、商品開発に力を入れる、コストを下げるなどが考えられると思います。
それよりも多くの人が文化に触れられる場所をつくることが必要だと感じていました。行くことで、焼き物の存在がより身近になるような場所です。

今まで焼き物作りでコラボレーションしたアーティストにも協力してもらい、敷地内にアート作品を設置しています。アートに触れるきっかけの場所にもなるかもしれません。
また、子供は外で遊んでいて親はゆっくり買い物をしている光景もよく目にするようになりました。

HIROPPAができて、より買い物しやすい環境になったと思います。

BRUTUS

通常の公園のようなブランコや滑り台がないのはなぜですか?

馬場

公園のデザインはDDAA/DDAA LABの元木大輔さんにお願いしました。
元木さんは、遊具を設置すると遊び方が固定されてしまうと、あえて遊具を置かないことを提案してくれました。滑り台では大抵、滑って遊びますよね。

でも地形の起伏では滑り降りることも、寝転がることもできる。遊具を置かないことで自ら楽しみ方を考え、遊びを誘発する仕掛けになります。

BRUTUS

元木さんと、どのようなやりとりをして公園をつくっていったのでしょうか?

馬場

僕たちから元木さんへの依頼したのは、バリアフリーにすること。上空から撮影をしてかっこいいデザインであること。広場がある道の向かいに「照日観音」という観音像が祀ってあるので、その参道に建物を建てないことの3つだけ。

元木さんは、公共事業ではない広場づくりにとても興味を持ってくれました。海外では個人や企業が草の根的に公共の場づくりを考える運動は盛んだそうで、市民がDIYでつくったドイツの公園〈プリンセスガーデン〉や、市民主導で都市をつくる運動「タクティカル・アーバニズム」を参照しながら意見を出してくれました。

車椅子でも走りやすいフラットな遊歩道。転んでも痛くないように芝生を植える。地形を操作した三角形の穴や、丸い砂場。デザインもかっこいい、マルヒロらしい空間が出来上がりました。

元木さんいわく、公園での遊び方の自由度は下がり、規制は年々厳しくなっているようです。公園の在り方も変化しつつあるなかで、ここは音楽もかけていてにぎやかな雰囲気です。
町の人たちからは「明るく楽しい場所ができた」と好評をいただいています。子供たちから高齢の方まで多くの人にとって自由に過ごせる場所になったらと願っています。