「デザインだけがクリエイティブなことではありません。ロジスティックスもアカウンティングも、タクシードライバーだってクリエイティブな仕事です。例えば、あるタクシードライバーが毎日1つ外国語を学んだとします。そして、学んだ外国語で乗車した外国人客と楽しく話す。
どうですか、それだけでその乗客は運転手のファンになり、顧客になると思いませんか?大事なのは小さなディテールの積み重ねです。相手のことをどう考え、己を創造していくかで、どんなビジネスもクリエイティブなものになるのです」
10代の頃からあらゆる相手と商売し、成功も失敗も重ねてきたラムダン・トゥアミの言葉は重い。そんなラムダン氏が、「伝統と創造を両立させるのは難しいことだが、間違いなくクラシックでクリエイティブ。白い生地だけでも数百種類用意されている」と信頼を寄せるシャツメーカーがパリにある。それが、1838年創業の〈シャルべ〉だ。
2005年に、フランス最古のキャンドルメーカー〈シール トゥルードン〉の再生事業に携わり、見事に復活させた時代のラムダン氏は、毎日のように〈シャルべ〉のシャツを着ていたという。これまでのフルオーダー数は55枚。ブルーのラムダンカラーも作ってもらい、現在も2ヵ月に1度は、家族や友人たちへのギフトを求めにヴァンドーム広場28番地の店舗に顔を出す。
絶妙な色の差が、〈シャルべ〉の繊細さ
〈シャルべ〉の現社長であり、ゼネラルディレクターは、ジャン=クロード・コルバンだ。物腰はゆったり柔らかく、品格に溢れ、〈シャルべ〉のシルクタイのエレガントなディンプル(えくぼ)の完璧さも、花の都の中心に生きるパリジャンそのものである。
「私たちにとって大事なことは、ここに“すべてがある”ということです。我々のお客様は、常に新しいものを求めに〈シャルべ〉を訪れます。ですから、どんなリクエストにも応えられるバリエーションが必要となるので、毎シーズン400から600ほどの新しい生地をシャツ用のコットン、タイ用のシルクで用意しているのです。
なぜ、そこまでやるのかって?それは、私たちのビジネスの本質が“比べる”ことにあるからです。とても微妙な比較をお客様に提供するのがいちばんの仕事で、初めてお越しいただいた方々に様々な提案をするためには、比較という作業を行うことで、本人にとってベストないいものが見つけられるお手伝いをするのです。
フランスの名優、カトリーヌ・ドヌーヴはグリーンピースをも比較して選り好んでいたといわれていますが、それは我々も同じです。すべての選択肢が揃ったうえで、そこから比較が可能となるのです。100年前のアーカイブにある糸の色見本帳を見ると、毎年、絶妙な違いのブラウンを4種類作っているのがわかります。
1年の間にほとんど見分けのつかない4つの茶系の生地を作っているのです。ブルーやパープルなどもそうです。この微妙な色の差が、〈シャルべ〉に宿る繊細さの正体と言っても過言ではないでしょう。誰もが認める最高のブルーを作ることが、私たちの目的ではないのです」
グローバリゼーションにはもう飽きている
生地商だったジャン=クロードの父、ドニ・コルバンが時の大統領、シャルル・ド・ゴールからの仲介で倒産寸前だった創業者から〈シャルべ〉を買い取り60年が経った。現在は、ジャン=クロードが受け継ぎ、妹のアンヌ=マリー・コルバンと共にファミリーでビジネスを手がける。従業員はショップ、アトリエ、自社工場合わせて100名ほど。
シャツはプレタポルテ(既製服)のもので一枚500ユーロと、日本円にしたら8万円を超える価格だが、それでも、店内は雰囲気のいいゲストで賑わう。なぜなら、〈シャルべ〉は世界に1店舗、このパリのヴァンドーム広場にしかない。
このヴァンドーム広場は世界を見渡しても特別な場所であり、「グランサンク」と呼ばれるパリの五大ハイジュエラーや〈オテル・リッツ・パリ〉が軒を連ね、ここだけでしか味わえないものを求め人がやってくる。ヴァンドーム広場のハイジュエラーでは500ユーロで買えるものは一つもなく、〈オテル・リッツ・パリ〉が1泊いくらするかと考えれば、〈シャルべ〉が仕立てるシャツも良心的な値段だということに気づく。
「もともとはオーダーメイドだけでしたが、父が60年代後半からプレタポルテも始めました。オーダーメイドだけでは日々の作業量にばらつきが出るので、職人たちがバランスよく働けるような環境にと、プレタポルテを作ることで改善したのです。フランスのシャツ作りでは重要な土地、ブレンヌ地方に自社工場を造りました。19世紀中頃からこの地域での大量生産が始まり、主に女性が働いています。
〈シャルべ〉の職人たちも代が替わり第4、第5ジェネレーションの方々が支えてくれているんですよ。シャツの生地はすべて天然素材のコットンを使います。コットンの原料がどこのものかも大事なことです。エジプトのギザコットンは好きですし、“白いゴールド”と呼ばれるカリブ海のシーアイランドコットンもとてもいいものです。
イスラエルのコットンも近年進歩を遂げています。3年前まではコットンは1ヵ所からの仕入れでしたが、今はいい原産国から選ぶようにしています。シングルモルトのウイスキーと同じで、蒸留所ごとに味も香りもまったく異なりますから。スコットランドの人がウイスキーを造るように、フランス人である私たちが、古くから伝わるエレガンスへの愛情をもの作りに注ぎます。
現代は、誰かと会う、五感をもって体感するといった行為が、逆に新しいものになりつつある時代です。自分のためだけに作られたという特別なものに人は心が動かされるのではないでしょうか。文化を重んじる人は、ユニークさが何かをわかっているし、グローバリゼーションにはもう飽きているのです。だから、〈シャルべ〉はオンラインでは買えません。お店もここにしかないんです」
今も最も美しいシャツがパリにはある
着ていたシャツを見て、「それは〈シャルべ〉ですね」と言った。古いものであったが、生地とボタンを見ればすぐに〈シャルべ〉とわかるらしい。そして、その生地は「サテンのストライプが入っていて、技術的に作るのが難しかった」と、ついこの間作っていたかのように教えてくれた。
「〈シャルべ〉というネームが入っているから、〈シャルべ〉なのではありません。私たちは、創業からコットンシャツとともにシルクタイも作っているのですが、19世紀末頃には評判を得て、シルクの布地は“シャルべ”と呼ばれるようになりました。
今でもブランド名ではなく品質を売っているんです。メンズスタイルというものは、許容が狭く、自由度も少ないものですが、男性にとってシルクタイは、女性で言う宝石のような役割を担っているのだと思います。3mm単位のジャカードで織られたシルク生地は、まるで光のように輝きますから。日々シルクを触っていると、クオリティの違いが指の先でわかるようになるんですよ。
“シルクは手で気づけ”と言われるくらい、感触を理解できる能力は、時間をかけて育てられていきます。若者たちに必要なのも時間です。我慢強く修業を続けることで、高品質なものを生む技術が身につきます。シャツも同様です。お客様と直接お会いしないで、オーダーシャツは作りません。採寸表を送ってきても、その方の立ち居振る舞いまではわかりませんし、寸法だけでは見えないことがたくさんありますからね。
創業当時、世の中にシャツ屋はありませんでした。初のシャツ屋が〈シャルべ〉です。それから、山ほどシャツ屋ができ、特に〈ボワヴァン〉というメゾンが有名でした。パリに行けば美しいシャツが買える。つまりパリに来ないと美しいシャツは手に入らなかった。
でも、100年経ったあとに残ったのは〈シャルべ〉だけでした。それは、お金持ちのお客様がたくさんいたからではありません。ずっとついてくれているお客様がとてもいいセンスをお持ちの方が多かったから。そのセンスに応えられるように、私たちはこれまでずっとやってきているだけなのです」
