回文とは、前から読んでも後ろから読んでも同じ音になる文章のことを指す。一説によると、日本最古のものは、平安時代の歌学書『奥義抄』に登場するのだそう。日本語の美しさを再認識できる回文の魅力をひもとく。
中村佳穂
福田さんを知ったきっかけは、『美術と回文のひみつ』(小出由紀子事務所)という冊子です。回文作品と、文筆家、大竹昭子さんとの対談が載っていて。とにかく作品の美しさに圧倒されると同時に、対談も読み応えがあって、読むのに1週間かかってしまいました。
福田尚代
たった26ページなのに?
中村
私には初めてのことばだらけだったので、咀嚼するまでに時間がかかりましたね。読み終えて、ようやく福田さんの作品に触れる準備ができてきたなと思いました(笑)。
回文は、“つくる”ではなく
“発見する”ものである。
中村
回文は普段、どうやって書かれているんですか?
福田
まずは手を動かしますね。まっさらな紙に、絵のようにひらがなをちりばめて。そこからことばが結びついていくイメージです。
中村
絵の中からことばを“見つける”という感覚に近いですか?
福田
そうですね。回文は、自分の中から生まれるものではなく、外にあるもの。自分では思いつかないことばを“発見する”行為だと思うんです。だから回文に対して“つくる”という表現を使わないようにしています。
中村
とある民族では、歌は自分たちでつくるものではなく、神様のものだと考えられているそうなんです。誰か一人に降りてきたものを皆でシェアするものだと。福田さんが回文を書く過程にもそれに近いものを感じますね。
福田
大それたものではないですが、近い部分はあるかも。自己表現ではないしコミュニケーションでもない。人に見せない回文もあるし、相手がいなくても成立すると思っています。中村さんにとって、歌は人に伝えるという意味合いが大きいですよね?
中村
はい、振動を伝えているという感覚です。なので人に聴かせない作品はなく、うまくいかないと思ったら完成させずにしばらく置いておくことにしています。
福田
歌にとって一番良い状態で世に出したいということですか?
中村
曲が増えるほど、歌われなくなる曲も増える。振動が伝わらなくなれば曲は死んでしまうので、むやみに完成させたくないなと思っていて。その歌が誰かに届く道筋を感じ取れた時、最後まで仕上げるようにしています。
福田
なるほど。逆に回文は、世に出しているものが完成とは言い切れないかもしれません。ことばの無限な枝分かれから一つを選択して形にしているので、一度書き上げたものが揺るぎない正解とは限りません。
中村
時間が経って、その選択を変えることもあるんですか?
福田
ありますね。例えば、缶切り、ハサミ、軟膏など、いろんなものが羅列してあって、逆から読むと詩が現れる回文があります。最初は自分でもわからなくて、人の部屋の中かな?と思っていたんです。
でも見直したら、これって災害の後の瓦礫じゃないかと感じて。あとから「瓦礫」ということばを足しました。
中村
俯瞰すると、わかってくることがあるんですね。
福田
それももちろん正解かはわかりません。ただ、どこかで糸がほころんでほかの編み物ができていくように、可能性は広がっているんです。
回文には、
“不自由の自由さ”がある。
福田
中村さんの曲「intro」は、ことばがいろんなふうに受け取れますね。意味にとらわれていないところに、回文と近いものを感じました。
中村
あれは、うっかりマイクに録音されていた鼻歌なんです。聴き返したら意外と良くて、曲として形にせずにそのまま出すことにしました。
福田
意味になる寸前の何かを感じるのかな。普通、ことばは意味ありきで道具のように使われるけれど、本来はもっと有機的なもの。「intro」の中には、ことばの野性的なありようが垣間見える気がします。
中村
聴き手を意識せず、自然発生的にできたものだからこそ、なのかもしれません。回文も受け取り手に解釈させたり、想像させたりする余白がありますね。
福田
回文には音の順序の厳密なルールがあって、それが最優先される世界。一見身動きがとれないように見えますが、実は普段私たちを縛っている“意味”から解放してくれる術なんです。
中村
なるほど!
回文は、不自由なようで、自由な作品なんですね。