選・解説:音ゆみ子(府中市美術館学芸員)
猫絵画、古今東西
しなやかな姿態と神秘的な愛らしさ。猫は絵描きにとって大層魅力的な存在だ。しかしその描かれ方は、国や時代でかなり異なっている。
猫が神聖視されていた古代エジプトでは王家の墓や壁画にその姿が描かれ(A)、猫が「真のペット」とされるイスラム教圏では、オスマン朝の細密画にも登場する。一方、ヨーロッパではどうだったのか。府中市美術館の学芸員、音ゆみ子さんは言う。
「実は西洋、特にキリスト教圏では近世まで、動物の絵画自体が少なかったんです。なぜなら描かれるべきは聖書や神話の物語で、主役は神や人間だから。猫を含めた動物は、何かの象徴、あるいは物語の脇役という役割を担って初めて芸術として描かれた。それが一種の約束事でした」
そんな時代に、猫がじゃれ合う様子や威嚇する姿をスケッチしたのがレオナルド・ダ・ヴィンチ(B)。「レオナルドはいろいろな動物を観察してデッサンを描いていますが、猫の動きや生態までうつしとる描写力にはうならされます」
ちなみに西洋絵画のお約束である「象徴」で言うと、ハトは平和、魚はキリスト、そして猫が象徴するのは残忍さや悪。例えば17世紀フランドルの画家アブラハム・テニールスが描いたのは、擬人化された猿が猫の毛を散髪している風刺画だ(C)。
「猫も猿も愚かさの象徴でしたが、この絵ではどこかコミカルでかわいいですよね。伝統的な約束事がある中でも、動物を魅力的に描きたい。そんな気持ちが、画家たちの間に芽生え始めたのかもしれません」
そして音さんが「猫絵画の美術史の新しい展開」と語るのが、エドゥワール・マネの「オランピア」(D)。「この絵の基となっているのは、ヴィーナスの横で犬が眠る16世紀の絵画。マネはヴィーナスを娼婦に、貞節を象徴する犬を性的な象徴である黒猫に描き替えて、あえて挑戦的な作品にしようとしたんです」
さて、同時代の日本に目を向ければ、真っ先に名が挙がるのは江戸の絵師・歌川國芳(E)。19世紀フランスの美術批評家シャンフルーリも、著書『猫』で國芳を取り上げている。
「國芳が描いたのは、日常の中の猫だけでなく、猫を歌舞伎役者に見立てた戯画や、猫の体で文字を形作る“猫の当て字”など多種多様。西洋絵画では象徴や脇役とされてきた猫を、國芳は驚くべき自由さと偏愛ぶりで描いている。その感性にシャンフルーリも衝撃を受けたのでしょう」
そもそも日本は人の命も動物の命も同じとする仏教の国。西洋絵画のような約束事はなく、江戸時代までは猫も自由に描かれた。ところが明治期に西洋美術の価値観が入ってくると、日本の画家たちも猫を描くことに芸術的意義を求めるようになる。
「おしゃれで澄ました猫という新しいモチーフを確立し、近代日本洋画における猫のパイオニアとなったのが藤田嗣治。その絵には、猫好きが猫を愛おしく感じる瞬間の姿やしぐさが凝縮されています」
古今東西、どの“描かれた猫”にも、宗教や動物観の違いを超えて人を魅了する力があると音さんは言う。「その根底に流れているのは、“やっぱり猫を描きたい”という画家たちの強い願いなのだと思います」