サブスクで音楽を聴くことが当たり前になって久しい昨今だが、それと比例するようにアナログな音質と手触りのレコードが見直され続けている。当初は一過性のブームのように思えたが、いまではレコードがCDのセールスを抜くケースも出てきた。一度は姿を消しかけた文化が蘇り、再び音楽シーンの定番として根付いている。そんな現象の最中、プレス工場を一から立ち上げようと考えた理由、そして今後の展望を、P-VINE代表取締役社長の水谷聡男さん、〈VINYL GOES AROUND PRESSING〉ヘッドの増田航也さん、〈VINYL GOES AROUND〉ディレクターの山崎真央さんの3名から聞いた。
水谷聡男(代表取締役社長)
レコードプレス工場の話題が出始めたのは、2021年くらいですね。15年ほど前からレコードのリバイバルが盛んになってきて、〈Record Store Day Japan〉など、イベントごとにスペシャルリリースも増え始めてきました。
2010年代初頭のP-VINEでは、まだCDリリースがほとんどでしたが、次第にレコードの需要も増えてきたんです。しかし、リバイバルは万国共通の現象で、海外のプレス工場もオーダーの受け付けが過多になっていて、なかなか納期通りにあがってこないことが多かった。
増田航也(〈VINYL GOES AROUND PRESSING〉ヘッド)
日本国内にも東洋化成やソニーなど、レコードプレス工場はあります。しかし、正規でオーダーをしても、どこも順番待ちの状態。現在でも、注文から納品まで約1年はかかると思います。過去のカタログ作品のリイシューなら、発売時期の調整はできますが、新作の場合はやはりCDと同じタイミングで出したいという気持ちはあって。
水谷
海外のプレス工場へオーダーをかけても、どうしても半年くらいはかかってしまう。レコードが届いたときには、もう新譜じゃなくなっているんです。そこで自社でプレス工場を建てるプロジェクトが立ち上がりました。
山崎真央(VINYL GOES AROUNDディレクター)
納期はもちろん、外注したプレス工場からあがってきた盤の音質に、納得いかないことが多かったんですよ。レコードに関する、もろもろの問題を解決したいという気持ちはありましたね。
水谷
新譜から再発まで、新しく発売されたレコードの音質の低下は大問題でした。わたし自身、長年レコードを買ってきましたが、新しくプレスされたものの中に、満足のいく音質のものが少なかったんです。
増田
レコードの製造工程に関して、少し説明します。まず、ミュージシャンがレコーディングして、マスター音源を完成させる。この音源を再生させ、カッティングマシンへ送る。このときに電気信号で針が震える。この針は熱を持っているので、その震動がラッカー盤に溝として刻み込まれます。
ラッカー盤は一枚だけなので、量産するときには足りなくなる。そこでニッケルメッキに転写してメタルマスター盤を作る。それをコピーしたものとして、実際にレコードをプレスするスタンパーを作る。量産可能なので、それをプレス機に装着させてレコードを作っていきます。
山崎
ラッカー盤やメタルマスターの製作ももちろん大変だし、時間はかかります。しかし、レコードプレスが自社でできるようになった分、レコードリリースまでの時間を大幅に短縮できるようになりました。
レコードのグルーヴを、さらに太く!
水谷
ラッカー盤のカッティングは、エンジニアさんが一本一本の溝をデジタルの顕微鏡を用いてチェックするという、本当に繊細な作業です。それでも、問題は起きる。例えば、楽曲のサビやソロパートなど、大きな音が収録された溝は太くなるんです。
それは音楽家が聴いてほしいと思う箇所だと思うんですが、溝が太くなると、隣の溝に接触して(レコード)針が飛ぶ原因になる。また溝同士が接近しすぎると、ノイズが起きる可能性も出てくるんです。要するに、クレーム対象となる盤ができやすい。
山崎
ここ近年、音飛びするような盤は減ったけど、音楽自体の個性を反映させた良質な音のレコードは少なくなった。音の太い、ガッツのある盤が全然ないですね。多分、針飛びやノイズなどのクレームに対応するうちに、いつしか溝を小さく刻むようになったんだと思います。苦情を恐れたカッティングでは、音質が凡庸になる。それで評判が悪いんですよ。
水谷
ブラック・ミュージックやダンス・ミュージックなら、低音が効いていることは最重要事項だと思います。多くのプレス工場は、それを諦めてしまった。
山崎
レベル(音圧)が低いんですよね。出さなきゃいけないところで、音が出ていない。レコードを愛好する身として“フラットな音質なら、CDでいいじゃん?”という声が、なにより怖い(笑)。
水谷
その辺のジレンマを打破するべく〈VINYL GOES AROUND PRESSING〉を始めたと言っても過言ではありません。徹底的にミュージシャン自身が出したい音を再現するように心掛けています。
海外スタッフに言われて自覚した“Made in Japan”クオリティ
水谷
工場を作る前段階で、プレスマシンやシュリンクマシンの購入ルート、周辺機器の施工について調べたてみたところ、企業秘密のせいか、インターネットなどにまったく情報がなかったんです。そこで営業職で、根性のある増田を工場長に育てるべく、いろいろ無茶振りしましたが(笑)。見事に応えてくれました。
増田
プレスマシンなどの現行機材の販売を卸している会社がなくて……。頭を抱えながら探した結果、今のマシンを販売している会社を見つけたんです。海外から、3ヵ月くらいかかって船便で到着。機材はすべてバラバラの状態で、レコードを作る機材には見えなかったので、税関の担当の方に相当怪しまれました。
水谷
工場に戻って、機材を組み立てました。もちろん、ボイラーや冷却装置など周辺設備も必要になります。設計図をもとに、ボイラー技師さんや大工さんと相談して。もちろん、みなさんプレス工場なんか初めて作るんだけど、「メーカー側の設計図は、そう言っているかもしれないけど、絶対に違う!」とか言って(笑)。
こちらでは判断がつかないので、思い切って日本人の親方衆を信じてみたんです。職人さんたちの勘所は、本当に凄かったですね。作るものは違うけど、今までの経験を活かして、きっちり整備してくださったんです。
増田
マシンの販売会社のスタッフは、2週間来日してレクチャーしてくれましたが、設備関連の仕上がりには驚いていました。最新の機材を買えばオートメーションかと思いきや、結局は手作業が中心。気温や湿度などに盤の出来栄えは左右されるので、毎日の調整が必要なんです。
水谷
レクチャーが終わり、帰国した後でも「ノイズが入っちゃったんだけど、どうすればいい?」とか、増田が毎日のように連絡を取っていて。それでも対応してくれるから、ありがたかったね。
増田
メールでわからないときは、リモートで繋いで相談に乗ってもらって。ずっと機材の微調整を続けていて。
水谷
レコードをプレスする作業自体はアナログで、結局すべて手作業なんですよ。ボタンを押したら終わりじゃない。同じ作品でも、スタンパーを変えてしまったら、もう同じようにはプレスできないから、改めて微調整が必要になってくる。
気温や湿度によって、設定を変えなければならないし、職人の肌感覚で、地道にやっていくしかない。新しい機材を買ったら、楽にできるものだと思っていましたが、全然そんなことなかった。増田は大変すぎて、近所に引っ越したくらいです(笑)。
増田
僕はマシンの販売会社のスタッフが、プレスに対する丁寧かつ、いい音質のレコードを作ろうという熱意。そして、配管や設備装置を施工した職人さんたちの創意工夫に関して、すごく褒めていたことを覚えています。アメリカの取引先では、こんなにクオリティが高い職人技を見ることがないらしく「もっと日本製を強調するべきだ!」と言ったので、すぐに〈VINYL GOES AROUND PRESSING〉のロゴ、に“Made in Japan”と入れることにしたんですよ。
水谷
試行錯誤は今後も必要だけど、日本でしかできないレコードの可能性を秘めていると思います。
