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港町の人と人とを結んだ優しきボス猫、ケンジ

猫は人ではなく、場所につくという。「看板猫」という言葉もあるように、猫はただそこにいるだけで、その場に新しい“何か”を運んできてくれる不思議な存在だ。北海道の港町に幸せを運んだ猫の物語。

photo: Miho Doi / text & text: Yuriko Kobayashi

港町と猫

北海道・小樽の港町に、みんなから愛される“ボス猫”ケンジがいると知ったのはインスタグラムがきっかけだった。恰幅のいい体を揺らして港を闊歩する姿にはボスの風格が漂うが、表情は穏やかで、どこか間の抜けた感じすらある。そのギャップが面白くて本人(猫)に会ってみたくなった。

ケンジは漁師に飼われていた猫だった。漁のおこぼれにありつける浜には猫が多く集まる。力の強いオスが群雄割拠する中、ボスに上り詰めたケンジは、浜だけでなく町のパトロールにも出かけるように。

どこか憎めない表情と性格も相まって、あちこちでご飯をもらうようになった。いつしか立ち寄り先だったおばあちゃんの家で暮らすようになり、8歳になる今は、そこを拠点に毎日浜へ通い、パトロールをしている。

ボス猫・ケンジ
漁港近くの漁師の元で育ったケンジ。今は町の家で暮らしているが、浜のパトロールは雪の日も欠かさない。今回の撮影を担当した土肥美帆さんによるケンジの個展も六本木のフジフイルム スクエアで2023年5月末に開催された。

9つの名前を持つ人気者。ケンジがつなぐ人の縁

ある日、ケンジのパトロールに同行して驚いた。なんとケンジは小さな集落の中で9つの名前を持っていた。今の家では“ブッチャー”。近所の運送会社では“おっさん”、ほかにも“番長”や“あんちゃん”“ドラちゃん”など。姿を現すと「お腹空いてない?」と、おいしいものが出てくる。そんなわけでケンジは大きくなり、今や8㎏超の体格だ。

「ケンジが町で暮らすようになって、ご近所付き合いの幅が広がったんです」とは、浜でのパトロール中に休憩所としてケンジがよく立ち寄る漁師小屋のおかみさん。以前は町の住民との関わりが少なかったが、ケンジが浜と町を行き来するようになったことで、自分と同じようにケンジの世話を焼く人たちと言葉を交わすようになったのだとか。

「ケンジが来てくれたおかげで、賑やかになったの。お父さんと2人暮らしだったから、なおさらね」と、今の飼い主のおばあちゃんも嬉しそう。

ケンジが“おっさん”の名でお世話になっている近所の運送会社の人々とも交流が生まれ、数年前にはケンジが自由に外と家を行き来でき、寒い冬でも快適に過ごせる“ケンジ御殿”を作ってくれた。材料は地域の工務店が提供してくれたそうで、ケンジを中心に人々の輪がほんわかと優しく広がっていく。

昔から猫は「人ではなく場所につく」といわれる。まさにケンジはそれを体現している猫で、時々に誰かと一緒に暮らしつつも、特定の人に「飼われている」という感じがしない。

この港町に生まれ、ただそこで「生きて」いる。様々な人と関わり、愛され、自然と人と人とを結びつけていく。まったくもって不思議な生き物だけれど、ただ一つ確かなことは、猫がいる場所は、どこまでも温かく、平和だということだ。

冬の間、ご無沙汰だった運送会社にケンジがふらりと現れた。「おっさん、久しぶりじゃん!」と、社員全員が仕事の手を止めて出迎えていた。おやつを食べるとすぐにパトロールに戻っていくケンジの姿を、みんなニコニコと見送っていた。