ドイツ・ハンブルグ、オオカミと野生を分かち合う旅

野生動物の中で最も遭遇するのが難しい動物に挙げられるオオカミ。そんな彼らの生き生きとした姿を見られる公園がドイツ・ハンブルクにある。野生の面影を残すオオカミたちが生きるのは、人と動物の世界のちょうど中間。彼らの暮らしに触れたとき、人間中心の世界に生きる私たちの心に、どんな変化が起こるのだろう。

Photo: Shinji Minegishi / Text: Yuriko Kobayashi / Coordination: Yumiko Urae

自由に生きるオオカミは野生と人間社会の関係を見直すヒントをくれる。

木陰からこちらを見つめる真っ白いオオカミたち。「怖い」と「美しい」が混在する感情が一気に後者に振れたのは、彼らがそのしなやかな体を目いっぱい使って森の中を自由に駆けだしたときだった。人間の存在など意に介さない姿。そこにはたしかに「野生の品格」が漂っていた。

ハンブルクから車で40分。自然公園〈ヴィルドパーク・リューネブルガー・ハイデ〉は、限りなく野生に近い状態で暮らすオオカミを見られる、世界でも数少ない施設だ。鬱蒼とした森が広がるオオカミの展示スペース。が、動物の気配はない。普通の動物園なら「何もいないじゃん!」となりそうだが、ここでは誰もが息を呑んで森を見つめている。係の女性がヒュッと口笛を吹いた瞬間、木々の間をすり抜けるように4頭のオオカミが走りだしてきた。

自然公園のスタッフ タニヤさん
タニヤさんに体をこすりつけて甘えるニティカとイヌク。チェコ出身のタニヤさんは子供の頃から多くの動物と暮らし、28歳の頃、鷹匠としてこの園のスタッフになった。16年前、初めて出会った仔オオカミに一目惚れし、以来20頭以上のオオカミを育ててきた。

「この園ができる前、このあたりは広大な森でした。伐採したのは必要最低限の木だけで、極力自然に近い状態の環境で動物を飼育しています」

25年前からオオカミの世話をしているタニヤ・アスカニさん。実は彼女、この公園で唯一オオカミに触れられるという特別な存在。オオカミと触れ合いながらその生態や魅力を伝えるレクチャーは、海外から足を運ぶ人も多い。タニヤさんが飼育スペースに入るとオオカミたちが体にまとわりついて甘え始めた。

「私を母親だと思っているんでしょうね。どの子も乳飲み子から育てたので。成獣になると独立心が出てきて赤ちゃんのようにはいきませんが、それでも根底に信頼関係があるので、こうして触れ合えるんです」
それでも、とタニヤさんは続ける。「どれだけ絆が強いと感じていても、決して“大きな犬”だとは思いません。オオカミは賢く、どこまでもフェアな動物です。人間のそばで生まれ育ったとしても、絶対的に人に服従するという選択はしないんです。

相手を慎重に観察し、一度でもアンフェアな態度や行動を取られたら忘れない。ですから彼らが乗り気でなければ、餌を使っておびき出したり、無理強いすることはしないんです。もしそんなことをしたら、彼らは私のことを信頼しなくなりますから」

動物公園で動物を見せられないというのは致命的なことだ。けれど狭い檻で暮らし、人間の意のままに操られる動物を見せることに意味があるのか。タニヤさんの理想は、単にカワイイ動物を見せることではない。

「ここのオオカミは別の動物園で生まれた子がほとんどですから野生ではありません。それでも自然の森の中に十分なスペースを与え、野生に近い環境で生活することで、本来の行動を垣間見ることはできます。彼らは大勢の人間の視線に晒されても怯えず、自由に振る舞います。そんな姿を見ると、人は次第にオオカミについてもっと知りたいと思うようになるんです。その機会を作るのが私の役割で、未来に向けた行動です」

オオカミが存在すること、それが普通の世界を願って。

タニヤさんの思い描く未来とは「自然界にオオカミが存在することが普通と思える世界」だ。かつてオオカミは人間以外で最も広範囲に生息する哺乳類だった。しかし家畜を襲うなど人間社会との軋轢の中で忌み嫌われ、世界各地で撲滅が叫ばれるようになった。

ここ数百年で西欧ではその数が激減、アジアや北米でも同様であり、現在の生息数はかつての半分ともいわれる。日本の固有種であるニホンオオカミもまた20世紀初頭に絶滅したと考えられている。
「ドイツでも絶滅寸前まで追い込まれましたが、ここ20年で少しずつ数を回復しています。オオカミが不在となった森ではシカやイノシシが急増し、そのツケが森林崩壊などの形で人間に回ってきました。それでようやく人間は、オオカミも自然界に必要な存在だと気づき始めたんです」

「人は怖さや弱さを解消するために不当なスケープゴートを作りたがる生き物だから。オオカミもその一つだと思うんです」とタニヤさん。それは寓話の中のずる賢いオオカミであったり、都市伝説としての人食いオオカミであったり、時代や場所で表現は違えど、常に存在し続けてきた。だからこそ今、オオカミという生き物の本来の姿を見てほしい。それがタニヤさんの願いだ。

「大切なのはお互いの存在を深く知り、どうしたら共に生きられるかを考えること。動物と人間、どちらが上でも下でもない。平和に、公平にお互いを尊重すること。オオカミのフェアな生き方に触れて、私も日々、勉強させてもらっているんです」

尻尾を振らず、こちらをただ見つめる純白のオオカミ。人間と動物の間に優劣などないはずだ。その静かで鋭い眼差しの中に、そんな問いかけを感じずにはいられなかった。

およそ60ヘクタールの敷地に約140種、1,400匹の動物を展示する自然公園。飼育している動物はヨーロッパに生息する種が中心。タニヤさんによるオオカミレクチャーは3月〜10月末、毎日開催。入園料は大人11.5ユーロ。*1ユーロ=約¥131(2018年9月18日現在)。

オオカミと共存する道を選んだ新しい羊農家のあり方とは?

野生オオカミ復活の兆しが徐々に見えつつあるリューネブルク周辺。そんな中、リューネブルクの牧場では近年、オオカミと共存するための新しい動きが生まれているという。

リューネブルガー・ハイデと呼ばれる自然保護区の一帯は牧羊が盛んな地域。この地域でしか飼育されないハイデシュヌッケという羊はリューネブルクの名産品だ。ベニングさん夫妻が営む〈シェーファライ・ヴメニーデルンク〉は850頭の羊を飼う農家。近年、オオカミの足跡を見るようになり、プロテクトドッグによる対策を始めた。

リューネブルガー・ハイデで放牧される羊
羊が放牧されるのは灌木や植林された松の苗が茂る草原。羊たちが草を食べることで松が無尽蔵に育たず、生態系のバランスが保たれている。自然というのは、よくできている。

「もともと羊を追う牧羊犬は飼っていたのですが、新たにプロテクトドッグという外からの侵入者を追う犬を飼い始めたんです。彼らは羊を見張ることはせず、常に外からの気配に注意を払っています。見知らぬ動物に対しては猛烈に攻撃をする犬。オートバイの音だったとしても、感じたら飛び出していくんです」

現在活躍しているのはターキッシュ・カンガールという大型犬18頭。オオカミに負けず劣らず立派な体格だが、フレンドリーで人懐っこい。
「実はこの犬種は家庭で飼うには少し難しくて。運動量が多く、ちょっとしたことで攻撃性が増します。そのせいで飼育放棄されることも多いのですが、ここなら思い切り走れてストレスもなし。彼らの強い警戒心や、いざというときの攻撃性の高さは私たちにとっては心強いんです」

犬を導入してからオオカミを見たことは一度もないそう。夫妻は新たな侵入者に不安を覚える周辺の農家に繁殖させた犬を譲るなどして、プロテクトドッグの普及を進めている。

「自然は人間が生まれる前からずっとあったもので、オオカミだってその一部。彼らが戻ってきたというのは素晴らしいニュースです。邪魔な存在として排除するのではなく、知恵と工夫で農家を守っていく。そんなやり方で、オオカミと上手に暮らしていけたらと思っているんです」

リューネブルガー・ハイデと呼ばれる美しい高原で牧羊を行う農家。この周辺でしか飼育されていないハイデシュヌッケ種の羊の見学が可能。プロテクトドッグやシープドッグ、ハイデ特有の自然環境の成り立ちについての話を聞くこともできる。見学はアポイント制。

動物をより身近に感じる、柵のない動物園。

ハーゲンベック動物園はハンブルク市内にある都市型動物園。その最大の魅力は檻や柵を使わず、動物との間に堀を作って安全性を確保する「無柵放養式」。例えばアジアゾウの広場では手を伸ばせばゾウの鼻先に触れられ、直接餌をやることができるし、大きなヒグマも、その息遣いが伝わってきそうだ。

ティアパーク・ウント・トローペン・アクアリウム・ハーゲンベック

もう一つ、この園が世界の先駆けとなったのが「パノラマ展示」。これは展示用のスペースを立体的に設計することで、同じ生態系に暮らす動物たちを一つの景色の中に見られるという展示方法。

例えば「アフリカ生態園」では、手前の池にフラミンゴ、その奥にシマウマ、ライオン、その背後には大きな岩山が聳え、そこにシカなどの偶蹄類が遊ぶ。もちろん実際の展示スペースは区分されているが、緻密な設計により、来園者が見る角度からはパノラマ的に動物と風景が見えるというわけだ。

近年は日本の動物園でもこうした生態展示に力を入れつつあるが、ハーゲンベック動物園の開園は1907年。開園当初から無柵の展示をしていたというから驚く。何より都市に暮らしていながら、こんなふうに動物と接する機会が持てるなんて!創業者のカール・ハーゲンベックは動物商で、ハンブルクでサーカスを開催するなど、動物を知り尽くした人物だったという。現在も家族が園を経営しており、世界でも数少ない私設動物園として愛されている。

動物園と水族館が融合した施設。北極・南極地域の生き物展示は自然岩を使った迫力のスケール。ゾウとキリンは直接餌やりが可能。入園料大人30ユーロ(動物園と水族館共通)。

冬でもサボテンが見られる巨大温室へ!

ハンブルクで自然や野生を感じられるのは動物園だけじゃない。市内中心部にある公園〈プランテン・ウン・ブローメン〉の一角にある観賞用温室〈シャウゲヴェックスホイザー〉は2800㎡という大きさ。展示は砂漠やトロピカルジャングルなど植物の生育環境ごとに5つに区分されており、エリアごとに温度や湿度が変わって、その土地で実際に植物観察をしている気分になれる。

プランテン・ウン・ブローメン/シャウゲヴェックスホイザー
ファサードが印象的な建築は1963年のブンデス花博の際に建設されたものの再現。

特に面白いのは、日本をはじめとするアジア亜熱帯地域の展示エリアから砂漠エリアに足を踏み入れる瞬間。それまでジメッとしていた空気が一転、カラッと軽やかになり熱気に包まれる。みずみずしい苔に覆われ、濃い緑に支配されていた風景は赤茶け、サボテンや多肉植物が続く荒涼としたものに変わるのだ。目だけでなく、全身で植物の世界を“感じられる”植物園である。

植物園のある〈プランテン・ウン・ブローメン〉は47ヘクタールもある広大な公園で、屋外でもバラ園や薬草園、見事な日本庭園など、季節ごとに様々な植物が見られるとあって、年齢問わず、いつも多くの市民で賑わっている。公園名である〈プランテン・ウン・ブローメン〉とは「植物と花」という意味。その名前が表す通り、ハンブルクの人々にとって植物との触れ合いは人生に欠かせない大切なもの。

足を延ばせばすぐに緑を感じられる場所があるのは、自然を愛するこの街らしい風景だ。

ハンブルク大学の研究施設を一般公開している施設で入園無料(任意で寄付を)。公園内の池で4月〜9月に行われる水と音楽のレーザーショーも市民の楽しみ。

都市と自然が融合した街、ハンブルク。

ハンブルクはベルリンに次ぐドイツ第2の都市。古くから港湾都市として栄え、今でも昔ながらの美しい街並みや運河が残る。ヨーロッパを代表する「環境都市」に選出されたこともあり、大都市であるにもかかわらず、街全体がエコフレンドリー。中心部にも公園や緑化地区があり、シェア自転車で移動する人も多い。

近年、大規模な再開発が進み、新たな観光スポットとなっているウォーターフロント、ハーフェンシティは、かつて大型船が着岸するバースが密集するフリーポートだった。1911年にこの一帯の海中にエルベ・トンネルが開通すると大型船の入港が不可能に。そこで市は郊外の緑を破壊することなく住宅や商業施設を増やす案として、使われなくなった港を再開発する道を選んだ。この街が今なお「緑と水の街」と呼ばれるのは、発展と環境保全を両立するための賢い選択をしてきたからだ。

ウォーターフロントに出現した新名所。

2017年、エルベ川の港湾地帯に新しいランドマークが誕生した。コンサートホールを中心に、ホテルやレストランなどが入った複合施設で、8階には街を360度見渡せる展望台がある。設計はスイスの建築ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロン。下層部にはこの地域伝統の赤レンガ造りが残る。

エルプフィルハーモニー・ハンブルク
エルプフィルハーモニー・ハンブルク

食の部分で言えば、シーフードのおいしさは言わずもがな。驚いたのは小さなスーパーや商店にもBIOマークのついた食品が並び、価格もそれほど高くはないこと。レストランもしかりで、ファストフード然とした店でも無農薬の野菜を使っていたりと特別感がない。ファッションとしての“ファーム・トゥ・テーブル”はこの街には存在しない。環境にいいものを選ぶことが日常なのだ。

少し前まで特別だったことが、いつの日か普通のこととなる。自然や動物、それらをひっくるめた環境に対する考え方は、日々の積み重ねでしか浸透しない。けれど裏を返せば、一人一人の意識の変化が大いなる普通を作っていくということだ。ハンブルクの街が、それをありありと証明してくれているようだった。

創業500年以上の醸造所で、フレッシュな地ビールを。

1505年にビール醸造所として開業し現在はレストランとして営業。地元の醸造所で造られたフレッシュな地ビール「ブラウハウス・ビア」(小ジョッキ3.3ユーロ〜)が名物。獲れたてのシーフードやリューネブルク名産のハイデシュヌッケ種の羊料理も。

ドイツのソウルフードもやっぱりビオで食べたい!

ソーセージにケチャップとカレー粉をかけた「カリーブルスト」はベルリン発のファストフード。ソーセージやコーラも体や環境に優しいビオのメニューを揃えている。ポテトを添えて。ビオカリー&ポテト(5.9ユーロ)。

港町の日曜日は、早起きしてフィッシュマーケットへ。

ハンブルクで300年以上続くフィッシュマーケット。鮮魚、野菜や花、日用品など様々な店が立ち、ご当地グルメのフードトラックが並ぶ。白身魚のフライを豪快にパンに挟んだバックフィッシュ(3.5ユーロ)は絶品。

レンガ造りの建築 リューネブルク
レンガ造りの建築が残るリューネブルク。
ハンブルクの地図

交通/直行便がないためフランクフルト経由やミュンヘンで乗り継ぎ。いずれも1時間弱。ベルリンからは電車で約2時間。
食事/港町ならではの新鮮なシーフードを。サーモンや、ヒラメ、タラなど白身魚が美味。リューネブルクでは名産の羊肉を。
季節/ドイツ北部に位置するため、年間の気温は北海道程度。11月に入ると冬の寒さに。
見どころ/美しい旧市街の面影を残しつつ開発が進むハーフェンシティ、個性的なショップが増えたシュテルンシャンツェなど、変化を続ける街を感じたい。
その他/日曜は飲食店以外の店が軒並み休業するので要注意。