心について考え、人の心の謎を知るための10冊。
精神科医として臨床に携わりながら、毒と愛に満ちた文章を発表している春日武彦先生。幼少期から本を読み、読み、読み続けた数十年間で見つけた、心と開放について考えるための10冊を教えてください。
「開放は開放でも、広々としたところに爽やかな風が吹き抜けるような開放って、全然イメージが湧かないの。私にとっての開放は、むしろずぶり、ずぶりと掘っていって、こんなに深くまで来られた!と喜ぶような、達成感と充実感とともにやってくるような感触なんです。
言葉のイメージ一つとってもそんな考えを持つ人もいるわけだから、他人だって自分だって、心なんてものはそもそも訳のわからないところにあるもんだ、ということを前提に開放について考えてみるのはどうでしょう?その前提をすっ飛ばしてしまうと、いくら開放だなんて言ったって、ただのおめでたいやつになっちゃうぜ、と思うんだよね」
最初に挙がったのは、20世紀半ばから数十年間、人知れず写真を撮り続けていた一人の女性の写真集だ。
「ヴィヴィアン・マイヤーは、彼女のドキュメンタリー映画を観て、これはすごい!と写真集を買ってみたら素晴らしかったの。オリジナルプリントが欲しくなって調べてみたけど、ものすごく高いので諦めました(笑)。写真家は写真家でも、古屋誠一の方は妻の遺体を撮影して発表したというトンデモ系。この人の作品は少しだけ見たことがあったけど、妻の写真のエピソードを知ってからにわかに惹かれるようになりました。写真家って、どうにも気になる存在なんですよね」
グロテスクさをたたえた写真家よりは、いささか近しい感情を持って読まれるのが、アンダーソンやマクラウドといった作家の短編集だ。
「『トウモロコシの種蒔き』や『煉瓦を運ぶ』のような孤独な営みから生まれただろう作品を読むと、たとえうまくいかなくても、何年かかったとしても、作家はこれを書かずにはいられなかったんだろうなぁという切実さを感じます。彼らは書くことである種の安心感を得ていたんだと思う。
この2冊に限らず、エッジの曖昧な心の動きや小さな不安感をきっちりと書き留められるということ自体、私には小さな奇跡のように見えるんです。でも結局のところ人の心はわからない。開放された心の奥に何が隠れているのかもわからない。だけどほら、何が出てくるかな?とワクワクできる楽しさがあるじゃない?それこそグロテスクなものも含めてね」