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映像ディレクター・大根仁が語るフジロックの魅力

雨の天神山で跳ねていた大学生も、今では会社の管理職、かもしれない。1997年から続くFUJI ROCK FESTIVALは、ブルータス世代の誰もが想い出のあるフェスだろう。オトナになった今でも行き続ける映像ディレクター・大根仁さんに、フジロックの魅力を聞いた。

初出:BRUTUS No.826「Summer Time, Summer Music」(2016年6月15日発売)

photo: Kazuharu Igarashi / text: Asuka Ochi

行き詰まっていた仕事への意識も、フジロックで変わった

1999年、ちょうど30歳の年。そこそこ稼いではいたけれどピンとくる仕事ができていなくて、私生活もボロボロで。そんな時、週末に突発的にスケジュールが空いて、何の準備もせず車でふらっと向かったのが、苗場での初開催でした。もちろん駐車場やホテルの予約もなく、一緒に行った友達なんて会社帰りでスーツ姿でしたからね。さすがに途中でTシャツと短パンだけ買いましたけど(笑)。

夕方、越後湯沢に着いて山を登り、フジロックの風景が見えてきた時に、すごく楽しいことが始まる予感のような、ザワつくものがあったのを覚えています。そしてそのままハイ・スタンダードの後半戦へ。「MOSH UNDER THE RAINBOW」の最中に本物の虹が出るという伝説のステージを観ました。そこから、とにかく楽しい!って感じで翌朝まで遊び通して。天気も良かったし、山は気持ちいいし、多幸感しかなかった。以来、フジロックは2004年以外、皆勤です。

思い出のフジロック:1999年、伝説のグリーン

1999年のフジロックでのグリーンステージの風景
UAのマイクスタンドにトンボが止まったり、奇跡の多かった1999年のグリーンステージ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンもすごかった。大地が揺れた! ©Mitch Ikeda

それまでロックフェス的なものって海外のカルチャーだという意識がどこかにあったんですよね。日本ではそういうのはできないんだろうなあと。でもフジロックは海外の借り物ではなく、ちゃんと“日本ナイズ”できている。

90年代って邦楽ロックがどんどん成長していった時期でもあったから、国内勢が海外勢と並列にタメを張って素晴らしいステージができていた。それも新鮮で嬉しかったんです。ライブってどこか「観せてもらうもの」っていう受け身的なものだったりしますけど、フジロックではむしろオーディエンスが主役。自分で楽しみ方を見つけることが大事っていうDIY感がある。そういう空間を体験して仕事の感覚も変わりましたね。

フジロックと同じように作り手と観る人の関係性が対等なものができないかを考えるようになりました。それで、ゴールデンより自由にDIYできる深夜ドラマをやるようになり、最終的に『モテキ』にも辿り着いた。俺もエンターテインメントの世界にいますが、こういう空間を作れる日高正博さんをはじめ〈SMASH〉の人たちってスゴいなと思います。もちろんほかのフェスも行きますけど、ココは特別。毎年行くたびにアップデートされているのもすごい。昔はユルさも面白かったので、心地よくなりすぎた面もあるかもしれないけど。

個人的な楽しみ方はこの18年で3段階くらいで変わってきてますが、ここ5〜6年は女の子に一銭も使わせないことをコンセプトに、ドアtoドアでフジロック未経験の女子をアテンドして100%楽しませるという伝道師の路線に行き着きました(笑)。

日本にもフェス文化が根づき選択肢がたくさんある中で、フジロックは東京からの距離もあって必ずしも行きやすいフェスなわけではない。けれど、来ちゃえば一番楽しいフェスだって、今でも思ってます。

映像ディレクター・大根仁