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編集者・野村訓市が語るフジロックの魅力

雨の天神山で跳ねていた大学生も、今では会社の管理職、かもしれない。1997年から続くFUJI ROCK FESTIVALは、ブルータス世代の誰もが想い出のあるフェスだろう。オトナになった今でも行き続ける野村訓市さんさんに、フジロックの魅力を聞いた。

初出:BRUTUS No.826「Summer Time, Summer Music」(2016年6月15日発売)

photo: Ayumi Yamamoto / text: Rio Hirai

最悪な思い出も含めて、最高な大人の遊園地。まだ卒業する気はない

第1回、富士天神山スキー場でのフジロック。まだ23歳で、仲間と「水を売ろう」ってトラックに4トン分のミネラルウォーターを用意して行った。だけど結局、2日目は台風で中止。水が3トンも余って、ぬかるみにハマりながらそれを持ち帰るのは一苦労で最悪の思い出になった(笑)。それから世界中のフェスに行っていろんなエライ目に遭わされたけど、「あの時のフジロックよりはまだマシ」っていうのが合言葉になりましたよね。

それまで日本には野外でやるロックのパーティはなかったから、ウッドストックなんかに憧れていた俺もすごく楽しみにしてた。ヘッドライナー級のアーティストだけ集めたみたいな豪華ラインナップでみんな期待してたけど、客の方も野外で泊まりのフェスなんて行ったこともないから、軽装で野宿すればいいやって思っているようなのばっかりで大変だったと思います。でも若い時の辛い思い出こそ、あとで笑い話として思い出す。

そして「必ずリベンジする」ってオーガナイザーが言っていた通り、今と同じ苗場スキー場で開催された第3回からは、ちゃんとオーガナイズされたフェスになっていた。第2回の豊洲での開催は日本にいなかったから行けてないけど、それ以外は全部行ってるからあんまり細かいことまで覚えてない(笑)。でもキッズエリアを作ったりソーラーパネルを設置したり、ゴミの分別も徹底している。海外のアーティストたちは口を揃えて「こんなにキレイなフェスは初めてだ」って言ってます。

思い出のフジロック:2001年のルー・リード

ルー・リード
ライブ観たさにやってきたおばちゃんたちとインテリっぽい兄ちゃんが同じ場所でわくわくしながらステージを見つめているのは、シュールだけど最高。 ©Yuki Kuroyanagi

最近は、「覚えてますか?」って話しかけてきた若いのが、何年も前のフジロックで友達が連れてきてた子供で「おまえあの時のガキか!」なんてこともあった。きっと“フジロック・ベイビー”だってどこかにいるんでしょうね。若い子にとっては、確かに金がかかって大変だと思うんです。でも3日間のお祭りに行くためのチケットだと思って、一度は来てみてほしい。

洋服は金が入ったら買えるけど、9月になって金が入っても、フジロックには行けないからさ。おじさんたちだって、年をとったら年をとったなりのフェスの楽しみ方があると思うから、簡単に卒業しちゃうのはもったいない。

自分が若いミュージシャンでフジロックに遊びに行ってたら、この環境で演奏したいって思うでしょう。始まる時に客がまばらなライブでも、人が人を呼んで終わる頃にはフロアが客でいっぱいになっていたりするのを見ると、やっぱりいいなって思うんですよね。

はっきり言って俺たちは「あのバンドが出るから行こう」っていうんじゃなくて、フジロックがあるから行く。フジロックが終わったら一年の折り返し。俺にとってフジロックの3日間は、グレゴリオ暦で言う夏至。一年で最も夜が短いのは6月21日ではなくて、この7月最後の週末なんですよ。

編集者・野村訓市