箭内道彦
50代になってもいい加減な自分でいられるか、それが前々から人生の大きな懸案事項のひとつでしたので、誕生日を迎えるまでの数日間は本当に緊張しました。突発的な何かが起きて50歳が自分にやってこないこともあり得る中で。
当日夜、外での仕事を終えて事務所に戻ってエレベーターのドアが開いたら、怒髪天のメンバーをはじめ、たくさんの仲間たちがクラッカーとシャンパンを持って待ち構えていてくれたサプライズは一生忘れられません。
50歳までにクリエイターとしてやっておくべきこと、真面目に言えば、大切な友達をつくること、運を強くすること、そして健康を心がけること、だと僕は思います。
出現する新しい価値観に対しては、それぞれと向き合いながら、感動してもいいし受け容れてもいいし徹底的に抗ってもいい。いずれにしても自分の中に生じるズレには自覚的でいたい。でも確かにもの忘れは激しくなりますね。この前初めて、生放送を終えたスタジオの駐車場にクルマを忘れてタクシーで帰宅してしまいました。心配になって脳のMRIも撮りましたが、異常はありませんでした。
露出は自分で設定したバランス配分を遵守することですね。出演の場や出会いから得る発想のインプットや本拠へのフィードバックも貴重です。
佐久間さんが『オールナイトニッポン0』で猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」をかけてくれたの、嬉しかったです。
エリイ
私のテレビの思い出というか一番大好きなのは『世界まる見え!テレビ特捜部』でした。子供の頃から食卓で見ていて、毎週月曜日に違う国の話や文化を見ることができて楽しみにしていました。
メキシコの遺跡、チチェン・イッツァのククルカンの神殿ピラミッドでは毎年春分と秋分の日の2回、影がウネウネするように見えて北階段の下の蛇の頭像と繋がって巨大なククルカン(トルテカの神の象徴である羽の生えた蛇)の姿が現れる現象やピラミッドに向かって手を叩くと、「キュ、キュ」と声が聞こえたりするのが紹介されていて、当時生きていた祖母と一緒に見ながら行きたいってワクワクしました。そして大きくなった私はメキシコに降り立ち遺跡の前で手を叩き、 響かせたのでした。
当時の司会者は楠田枝里子さんで明るく元気に始まる安定の月曜日でした。しかし、ある日降板してしまうのでした。私は衝撃を受けました。彼女は19年間司会者だったのです。降板の理由は若い女性に変えるということ。それが本当なのか違う理由があるのか知る由もありませんが、それが表向きにまかり通るなんてありえない、と思いました。
テレビを作っているのは男性ばかりなのか?確かに 、テレビの中でチラつくプロデューサーという人は男性ばかりでしょうか。今、楠田さんの降板の話は調べたら2009年の話でした。もっと最近のことだとばかり思っていました。
楠田さんのブログには「プロデューサーからは、『若返りをはかりたいから』と 説明がありました。正直、とても傷つきました。トシをとったら女性はもう要らないということなのでしょうか。私は『まるみえ』が大好きで、本当に一生懸命 、誠実に仕事を重ねてきたつもりだったのですが……」とのことです。
若い女性に代えるというのがあたかも正当な理由としてまかり通るのは驚く。男性を煽(おだ)てる女性も含んだ男社会でつくり上げた世界観の中で笑い合っている。子供たちに絶対に見せたくない。あと、先輩が後輩に焼肉やハワイや温泉を全部奢って感心し合う内輪話を垂れ流す番組なども意味が不明です。この奢るネタも昔の話かもしれませんが、世界観はこのままですよね。
大根 仁
佐久間君、長い付き合いなので“佐久間君”と呼ばせていただきます。
佐久間君と僕は、テレビ局員とフリーのディレクターの違いはあれど、共にテレビ東京深夜枠という2000年代は草木も生えていなかった荒地を一緒に開拓した仲間だと思っています。
佐久間君はバラエティで、僕はドラマで、お互いいろいろな番組を作り、どれも数字は取れなかったけど、サブカル野郎の合言葉である“でも、やるんだよ!”精神で、誰も観たことのないバラエティやドラマを目指しました。
お互いのブレイクポイントは、佐久間君は『ゴッドタン』、僕は『モテキ』でした。『ゴッドタン』は、始まった当初から面白かったけど、深夜色が強くてマニアックな人気からなかなか抜け出せなかった。そんな中で生まれた企画「キス我慢選手権」、放送を観てすぐに佐久間君に激賞メールを送りました。僕は自分の才能はありませんが、他人の才能を見抜く才能は誰にも負けません。『ゴッドタン』も佐久間君も、これから大変なことになると確信しました。
『モテキ』の第1話の放送が終わった直後、佐久間君もメールをくれました。内容はほとんど忘れたけど、ものすごくテンションの高いメールだったことは覚えています。いま思えば、あの頃が僕の“テレビマンとしての青春”だったのかもしれません。僕は『モテキ』の後に2本ドラマを作って、テレ東深夜から卒業しました。
理由はいくつかあるけど、あれだけ自由だった場所が自由でなくなったというのが一番大きいけど、もうひとつはそれなりに尖っていたセンスが鈍ってきたという自覚、佐久間君の言う“価値観のズレ”です。まあ、あと“作っても作っても上がらない制作費とギャラ”という切実な問題もあったが(笑)。でも、僕がテレ東深夜を卒業した後も、佐久間君は変わらず『ゴッドタン』を作り続けている。
昨年、佐久間君から「テレ東を辞める」という話を聞いたとき、真っ先に問うたのは「ゴッドタンはどうするの?」でした。即答で「ゴッドタンは続けます」と答えた佐久間君に「ならいいや」と返しました。佐久間君は大丈夫、『ゴッドタン』を続けている限りは大丈夫。
今でも毎週面白い。今時のテレビであれだけ下品な下ネタ企画を定期的にやっているのも頼もしいし、誰も知らない若手芸人を発掘し続けるのも偉い。いくらでもあったであろう枠移動の話にも乗らず、ド深夜から動かないのも凄い。でも、それってきっと『ゴッドタン』が佐久間君のホームであり、佐久間君の“テレビマンとしての青春”が終わっていないからなんだと思うよ。だから、これからも僕たちを土曜深夜に爆笑させ続けてください。佐久間君のことをテレビ界の宝だと思っているから(ゴッドタン名物企画「マジ嫌い選手権」のキャバ嬢あいな風)。
出演する仕事に関しては、ちょっと出過ぎじゃねえ?と思いつつも、安心しているのは佐久間君のファッションです。裏方がメディアに出るとき、奇抜なファッションやトリッキーなメガネフレームや主張の強いキャップを被っていたりすると、僕は一瞬でその人のことを見下すのですが、佐久間君は普段会っているときと同じ、もさいファッションなので、安心して観ていられます。どうかこのままスタイリストなど付けずに、もさいままでいてください。あ、ワイドショーのコメンテーターだけはやらない方がいいと思う。
じゃあ、またね。
あ、メインの悩みは「50歳までにやるべきこと」か。
ちなみに僕は「50歳までにNHKからテレビ東京まで全局でドラマを作る」だったんだけど、それは達成できました。
佐久間君には“全局でのバラエティ制作”を望みます。
佐久間君ならやれるんじゃないかな。