森を育てるように、村に根を張り生きていく優秀な人材を育てる
岡山県の北東部。鳥取県、兵庫県と境を接する山あいに、西粟倉村はある。中国山地の南麓に位置し、森林率は95%。人口1600人ほどの山村を訪れたのは、夏の暑い日のことだった。目的は〈西粟倉・森の学校〉の代表取締役・牧大介さんに会うこと。平成の大合併で敢えて自立を選んだ西粟倉村が、存続のために打ち出した“林業と地域の再生”という取り組みの中心人物である。
まるで学校の先生のような人。これが牧さんの第一印象である。穏やかな語り口で、合理的な意見を述べていく。そんな牧さんと西粟倉村の出会いは、2006年のことだった。
「合併しないという選択をした村は、04〜06年の間、総務省の地域再生マネージャー事業を活用。民間企業など外部の専門家を常駐させ、地域を活性化する施策です。僕は、その最後の年にマネージャーチームの一員として派遣。そうこうしているうちに取り組みが大がかりになって……。ここまで来たら、やるだけやってみようと思い、村と共同で会社を設立して今に至っています(笑)」
地域経営と産業振興を進めていくうえでのコンセプトとして、村が考え出したのは“心産業(しんさんぎょう)の創出”。経済のグローバル化で置き去りになってきた、心と心のつながりを育み、そこから価値を生み出していくというスタンスである。このコンセプトを形にするため、村ではさまざまな要因から手入れがされず、荒廃が進んだ森林の再生に積極的に取り組んでいく。その中心となるのが、08年に掲げられた「百年の森林構想」だ。
「地域の森林を50年がかりで再生させようというビジョンです。現在、村には50年生の杉やヒノキの森が多く残っています。50年前、孫や子のためにとの思いを込めて、人々が植林した森です。その森をあと50年かけて育てるという取り組みを村ぐるみでやっていく。短期間で結果を出すのは難しいですが、長く努力を続けていけば、生き残れる可能性は十分あると思います」
「百年の森林構想」は、「百年の森林創造事業」と「森の学校事業」という2つの事業の上に立脚している。前者は、放置されている個人所有の森林を10年間、村役場で預かり一括管理。適切に管理された森林に与えられるFSC認証の拡大も併せて行っている。そのための資金確保の手立てとして立ち上げたのが、日本初の森林・林業事業支援ファンド「共有の森ファンド」だ。
「集めた資金で間伐作業を進めるための林業機械を購入し、それを森林組合にレンタルして、10年間で回収する仕組みです。現在、投資家は全国に約420人。総額で4200万円ほどが集まりました。実は、このファンドの本当の目的は資金調達ではなく、“村のファン”作り。出資をすることで村に興味を持ち、応援してくれる人を増やしていく。人が人を連れてきてくれるんです」
一方、「森の学校事業」の主体となるのは、もちろん〈森の学校〉だ。ここでは、森をはじめとする地域資源と向き合い、そこから価値を生み出すことのできる起業家的な人材の発掘・育成と、森林保全のために切り出される間伐材を使った商品の加工・販売が行われている。
「インキュベーションとマーケティングを一体的に展開するのが、この会社の役割です。今、村には木工作家やデザイナーといった個人レベルでローカルベンチャーを立ち上げている人たちが10人ほどいて、村の増収入は累積で4億円以上になっています。それでも地域資源はまだまだ有効に使えていないのが現状で、100人くらいまでなら十分増やすことができる。
グローバル経済が熾烈を極め世界全体が飽和状態の今、僕はローカル経済がフロンティアだと思っています。足元にある資源の可能性を見極め、掘り出していくという作業です。目指しているのは、地域の活性化ではなく沈静化。過疎化・高齢化の悪循環を断ち切り、いい環境にシフトした後は、人々が安心して幸せに生きていける、落ち着いた日常があるべきだと思います」
そんな沈静化のために、今最も重要なことは何でしょうか?
「地域に根を張りそこで生きていく人を、森と同じように育てる“植人”でしょうか。どんなに森が整備されても、活用する人がいないとただの宝の持ち腐れ。人を植え、育てる作業に注力しないと50年先はありません。気の遠くなるようなプロジェクトですね(笑)」