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福岡に生まれた地域とつながる保育園〈ごしょがだに保育園〉。園長に開園に至った経緯を聞く

はじまったばかりの目新しい取り組みは、その分野を切り拓いてきた先人の試行錯誤を見聞きしたうえで、独自のアイデアを繰り出し生まれたもの。つまり、今考えうる最良の形の一つと言えるのではないだろうか。ここではミニシアター、ホテルなどの「最新」を紹介。手がけた人たちに、最良に至るいきさつを聞いた。

text: Chisa Nishinoiri / edit: Emi Fukushima

「保育園」最新までのいきさつ

593年:
聖徳太子が、孤児や貧窮者などを救済する施設〈悲田院〉を設置する。

1890年:
赤沢鍾美・ナカ夫妻が日本で最初の託児所〈新潟静修学校付設託児所〉を開く。(1)

1989年:
子供の基本的人権を保障する「子どもの権利条約」が採択される。(2)

2015年:
「子ども・子育て支援新制度」がはじまり、保育施設への支援が手厚くなる。

2016年:
内閣府により「企業主導型保育事業」という助成制度が導入される。

2021年:
福岡で、地域に開かれた〈ごしょがだに保育園〉がはじまる。

日本一古い保育施設
(1)新潟市に誕生した日本一古い保育施設。写真提供:赤沢保育園

第44回国連総会
(2)第44回国連総会で子どもの権利条約が採択。© UNICEF/UNI40118/Mera 写真提供:日本ユニセフ協会

目指したいのは、地域住民と共に考え、
育み合う保育園。

話を聞いた人:酒井咲帆(ごしょがだに保育園園長)

BRUTUS

〈ごしょがだに保育園〉を開園するに至った経緯を教えてください。

酒井咲帆

もともと写真に携わる仕事をしていましたが、2009年に写真館をはじめた頃から、まちの公民館のような役割を担えればという思いがあり、誰かの居場所をつくることを意識していたと思います。

そんな中、自身の妊娠、結婚、出産を経て、社会に対する矛盾や違和感をより一層感じるようになりました。

自営業だと育児休暇が取りづらい、保育園にも落ちて、ようやく決まったところは家から自転車で30分もかかるようなところ。
自分に起きた諸々のことを役所で熱弁して、保育園に入るための嘆願書のようなものを書いたこともありました。自分が抱えた困り事は、きっとほかの誰かも抱えているかもしれない。

ならば、保育園を作るしかない!と、そこからは神頼み、人頼みで無我夢中。2018年に19名の園児を受け入れる〈いふくまち保育園〉が生まれ、2021年に29名の園児が通う〈ごしょがだに保育園〉が生まれました。

BRUTUS

〈ごしょがだに保育園〉の特徴はどんなところですか?

酒井

最初に開園した〈いふくまち保育園〉は比較的小さい物件ですが、すぐ隣に古小烏公園があり、公園とつなげて運営しています。公園を自由に使わせていただき、大人も子供も公園の愛護会メンバーとして清掃や整備など、当たり前の取り組みとして活動してきました。

公園やまちを耕すことで市民の暮らしがより豊かになる方法を学び合うと同時に、公共の場でもあるので、自然と市民の皆さんとの交流も生まれます。

2園目となる〈ごしょがだに保育園〉は、月に1回公園でラジオ体操を開催している『いーもんだウォーキング』という年配の方たちとの交流が縁で、紹介していただいた物件でもあります。

〈いふくまち保育園〉の空きを待ってくれる園児も増え、もう一園立ち上げたい!という思いがスタッフにも募っていたので、このご縁は奇跡でした。
また、物件のオーナーである町内会長をはじめ、まちの方やボランティアの皆さんにも手伝っていただき、2つの園も交流しながら、まち全体で保育園を運営しています。

BRUTUS

保育園を運営するうえで、大切にしていること何ですか?

酒井

保育は暮らしをつくることであり、暮らしはまちをつくることにもつながっていると考えます。また、子供は社会全体で育んでいけたらいいなと思います。

躾や教育には、正解があるようでありません。
例えば文字を習得することについても、子供の発達を見ながら、今伝えるべきかどうか、どうやって伝えるとその子にとって良いか、スタッフ全員が自分たちが生きてきた過程や経験を持ち寄り、みんなで考え、話し合い、チームとしての最良を導き出すようにしています。

大切なのは、どういう社会をつくりたいかを、問い続けることだと思います。