きっかけは、27年前のBRUTUSだった?
「1994年に出版されたBRUTUSで目利き9人の空想商店街という特集があり、そのなかで〈沼田元氣朗写真館〉と名づけた移動写真館を誌面で企画したんです。思い起こせばそのときから、いつか写真館を開きたいと思っていました」
この27年間、写真家としてこけしの普及、『こけし時代』の出版、母の介護と看取りなどの経験を経て、だんだんと写真館のコンセプトが固まっていった。
「長いこと東京で写真の仕事をしていましたが、母が脳梗塞で倒れ介護のために鎌倉に戻りました。そして鎌倉でコケーシカのショップを始め、その建物内で写真館も始めようと思ったけれど、店が忙しくなってしまいました。介護が終わり一区切りがつき、母も無事に見送ることができたので、いよいよ始めようと決意した次第です」
母の介護をするなかで、沼田さんはその姿を撮影し続けた。生き生きとした表情を残せたので遺影には困らなかったという。そこで思いついたのが、写真館での生きているうちに撮る遺影撮影だ。
「人は必ず死を迎えます。いつ何時、なにが起こるかわからない。コロナ禍で実感した人も多いのでは。急に亡くなってしまった場合、写真を用意する時間がなく免許証の写真を引き伸ばして遺影にしているなんて例もあります。本人が気に入っている遺影があれば、どれだけお葬式がよくなるか。アートである必要はないけれど、遺影が写真家とのコラボ作品だったら素敵だなと思い、“早すぎる遺影撮影”を提案します」
遺影をコラボする「街角の憩写真館」。
沼田さんが勧めるのは、毎年更新する遺影。年老いたから撮影するのではなく、死を前向きに捉えるために遺影を撮るという試みだ。
「毎年遺影を撮るのはいかがでしょうか。遺影のつもりが“今年も生きることができた”と生きていることに感謝できます。一枚の写真が自分自身と、そして現実的な死と向き合うツールにもなります。そう考えると、遺影は“生きるための写真”とも言えますね」
年々減少している写真館。しかし沼田さんは、その必要性と商機を強く感じているという。「長い間写真を撮ってきましたが、時代が移り変わるなかで写真のあり方も変化していきました。コンパクトカメラ、デジタルカメラ、そしてスマートフォンが登場し、写真を撮ることが多くの人にとって身近になってきたんです。
もちろんスマホで撮ったスナップ写真も大事な記念になりますが、もっとじっくり自分自身と向き合うための写真が、今求められている。写真館では撮るために、まずイメージを考え身支度をしていざ向かう。そんな心の準備、ハレの日のお楽しみがあるんです」
街角の憩写真館の特徴は、沼田さんと一緒に作品を作れるということ。昭和レトロな背景や、沼田さんが集めたロシアの雑貨、こけしなどの小道具を使って撮影ができる。
「お客様にはモデルさんとして参加していただいて、私はアーティストとして写真を撮ります。沼田元氣とご一緒に憩のポートレート作品を作る感覚で挑んでください」
もちろん遺影撮影だけではなく、記念日や家族写真、鎌倉への観光記念など人生の節目に思い出を残せる写真館。積み重ねた時間を、作品として残してみてはどうだろうか。