ついつい甘えてしまう、
ペン立ての包容力。
私は片づけが苦手であるから、机の上は乱雑である。とはいえその方が仕事をしているように見えてカッコいいのではと思っているので決して嫌ではない。
しかし放っておくと仕事をするスペースがなくなってしまうためにそうなる前に片づけなければいけない。本や雑誌や何かをプリントアウトした紙だとか大きいものはまとめ直してまた積み上げればよいだけであるので簡単なのだが、文房具などの小物はそうもいかない。
そこでペン立ての出番である。
机に散らばっているペンを筒状のオーソドックスな形のペン立てにさし始める。黒のボールペン、赤のボールペン、耐水性のペン、太い油性のペン、中にはもうインクがないものもあるのだが構わずさしていく。
何色かある蛍光ペンもインクがないかもしれないが確認せずにさしていく。めっきり使わなくなったシャープペンシルも、ハサミや定規などのペン以外の文房具もさし、ペン立ての縁にホチキスを絶妙なバランスでかける。
このようにペン立ては何でも受け入れ、包容力に溢れている。私はそんなペン立てについつい甘え、文房具以外、例えばコンビニでもらった箸やスプーン、ストローなどもさすようになる。
やがてその他の小物もとりあえず中に入れるようになり、付箋や使いかけの消しゴム、クリップ、ホチキスの針、単4電池や小銭、シャツの予備のボタンなども放り込む。
こうして様々なものを受け入れるペン立てはやがてタイムカプセルのようになり、ある日バランスを崩して倒れた拍子に映画の半券や昔乗っていた自転車の鍵が出てきて懐かしくなるのだ。