情報とフライを仕入れ、未舗装路をドライブ
クライストチャーチ生まれのバックパックブランド〈macpac〉で働いている元ネイチャーガイドにフライフィッシングをしたいと話すと、すぐに「フィッシング・ガイドを紹介してほしいのか?」と聞かれた。「いや、自分たちだけで行きたい」と返すと、何か言いたそうな顔をしたが、「この時期なら、Hurunui Riverがいいんじゃない?」と教えてくれた。街の中心部からおよそ2時間。「初心者でも釣れるかな?」と聞くと、「まあ、可能性はあるんじゃない?」とニヤリとした。
翌朝、釣具店『FISHERMANS,LOFT』へフライを調達に行った。ニュージーランドではどんな店でもほぼ必ず店員さんが話しかけてくれる。「Hurunui Riverに行こうと思ってるんだけど、おすすめのフライある?」と聞くと、「おお、あそこはいいね。ブラウン(トラウト)も、今の季節、ちょうどいいんじゃない?」とmapを示しながら、上流の湖に近いほど魚影が濃いと、ポイントを教えてくれる。「これとこれ、あっ、これもいいね」と、その棚にあったフライをほとんど手当たり次第にすすめられる。
要は目立てばいいと言うことらしい。日本とは文化が少し違う。大切なのは、『どれ』よりも、『どこ』なのだろう。いくつかおすすめを買い、フィッシングライセンスの登録もしてもらう。「シーズンパス?」と聞かれたが、「いや、残念だけどワンデイで大丈夫」と答えた。今日の15時から明日の15時までの24時間。明後日の早朝には帰国便に乗ることを考えれば、それがタイムリミットだろう。
1号線を途中で7号線に入り、北上する。川の中流域をHurunui River橋で越えてから左折。この橋の袂もポイントになっていると釣具店の店員は言っていたが、川幅が広すぎる。日本の渓流用のロッドでは短すぎて、フライが届かない。釣り人が一人、橋の上から見えた。舗装路が途中で終わり、牧場を抜けるダートが20分ほど続いて不安になってきた頃に小さな橋を渡った。どうやらHurunui Riverへ流れ込む小さな支流らしく、川岸へと下りられる道がついている。
絵葉書のような景色の中、心が穏やかに溶けていく
釣り仲間でもある写真家の平野太呂さんと車を停めて、その桃源郷のような雰囲気に息を呑んだ。川幅も狭く、ところどころに魚が留まることのできる溜まりがあり、誰もいない。車は一台停まっていたから先行者がいるはずだが、姿は見えなかった。太呂さんと相談して、とりあえず竿を出そうと決め、それぞれ振り始める。同じ場所にいるのに、ほとんど会話はなく、その距離感がちょうどいい。竿を振っていると、車が一台やってきて女性たちが泳ぎ始めた。ニュージーランドの自然の中でばったり人と会うことはあまりなく、いつもならば魚が逃げてしまうためにマイナスの感情がジワジワと染み出してくるが、その日は「桃源郷だもんな〜」と柔らかく受け止められた。
人と会うことが稀になると、誰にでも優しくなれるのかしら。私は上流へと歩き出す。誰もいない。ニュージーランドには、熊もいない。心はどんどんと穏やかになっていくが、魚の反応もない。アドレナリンが噴き出すような、静寂を切り裂くような魚のあたりを求めてしばらく遡ったが、桃源郷に魚はいなかった。車に戻ると、川下から先行者が帰ってきたところだった。ゴツいタックルを持っていて、「釣れた?」と聞くと、「ああ」と言いながら、肩幅より大きく手を広げた。
目的地まで辿り着けない。では、どうしようか?
釣具屋の店員が言っていた上流部にはまだ距離があるらしい。車を走らせ、ダートを戻り、同じように牧場の脇を抜けて、再び未舗装路に入る。「この道で合っているっぽいですね」と太呂さんに話してしばらく走ったところで、ロードストップ。巨大な重機が前からやってきて道を塞いでいる。
「行けないの!?」と重機を運転していたおじさんに太呂さんが大きな声で尋ねると、ヘッドホンを外しながら「この先で地滑りがあって、復旧までに2週間くらいかかるんじゃない?」と軽く言われた。まさかの展開にたじろぐ。魚影が濃いポイントへは辿り着けないのだろうか。フィッシング・ガイドを雇わずに自分たちだけで魚を釣るという試みは、あっさりと失敗に終わるのか?
ロードストップの向こうへ。ローカルから情報を仕入れて進む
狙いは、明朝。だからせめて行けるギリギリまで行って、Hurunui Riverに下りられる道があるかポイントをチェックしてみようという話にまとまった。日没までまだ2時間あるとは言え、19時は既に過ぎ、夕暮れが始まっている。ロードストップの向こうから来た車を停めて話を聞くと、どうやらもう少し先まで行けるらしい。せめて、そのギリギリまでは行こうと崖沿いの未舗装路を二駆のレンタカーで走る。
地図上ではもっとも道路と川が近づく辺りで、より頑丈なロードストップがあり、先ほど来た車が言っていた本当の行き止まりらしい。川までは崖になっているが、草に踏み跡があった。トレイルを抜けると階段があり、崖下へと続いている。どうにか辿り着いたHurunui Riverの上流は、幅は狭いが、水量が多くて流れが早過ぎる。とても釣りはできない。さらに湖に近づく必要があるらしい。ここまで来て……と思ったが、同時に見知らぬ異国でのポイント探しは冒険なのだという感慨を得た。いや、結局ポイントは見つかっていないのだが、丘陵地帯を抜ける帰り道に、初めての色に染まる空と大地を見た。
美しい景色の中、竿を持って歩く。それを釣りと呼びたい
結局、明朝には昨日と同じ支流のポイントから、Hurunui Riverの本流へと歩いた。30分ほど、竿を振りながら下り、合流地点に辿り着くと、そこは滔々と流れる大きな川だった。以前に北海道の忠類川で鮭を釣ったことがあるが、雰囲気が似ている。Hurunui riverにも鮭は遡上するらしく、昨日会った釣り人は、ここで鮭を釣ったのだろう。私たちの渓流ロッドでは、太刀打ちできない。記念に数回竿を振ってから、来た川を上り返した。
30分歩いて、駐車場の付近に戻り、さらに先へと歩いていく。ゆったりと構える太呂さんは丁寧にポイントを探っていくらしい。せっかちな私が先行させてもらう。ニュージーランドでは、いかに魚を見つけるかが大事だという事前情報はあり、だからガイドが必要なのだと実感するが、せめて魚の姿を見るだけでもとハードルを下げて、歩く。超一級に見えるポイントでフライを流しながら、歩く。景色は完璧に美しい。心はどんどんと穏やかになっていく。
この旅で一番の流れと溜まりのポイントがあり、ここで釣れなかったらこの旅では釣れない。静かに近づいていくと、手前にブラウントラウトの死骸が漂っていた。やはり、魚はいるのだ。できるだけ離れた位置から、フライを投げ込む。けれど、何の反応もなかった。私は、生き絶えたブラウントラウトに会うために、延々歩いてきた。風景に溶けたような気分の私は、それでもいいと思ってしまった。
釣れなかった釣りは、次の釣りの始まり
情報を仕入れ、Google Mapsでは正確には表示されない未舗装路を走り、どうにか歩いて魚を探す。ネットの情報の外側に、自分たちの力だけで出たと思う。釣れなかったが、魚が棲んでいることはわかった。その一連のアレやコレやひっくるめて、釣り。という言い訳を反芻しながら、桃源郷のような景色を独り占めしながらトボトボと歩いた。
同じことを考えているはずの友人はどうだったろうと思って車に戻ると、太呂さんはシートを倒して昼寝をしていた。鳥の声とせせらぎしか聞こえない昼寝。それもまた、釣りなのか? 「やっぱり釣りたいよね」と話しながら、街に戻る。これは、ニュージーランドをもう一度旅する理由をつくりにきた旅だったか。