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HUTと呼ばれる山小屋に泊まり、歩いてニュージーランドの懐に入る

ニュージーランドを満喫するためには、とにかく自然の中へと踏み入れればいい。日本ほど案内標識もなく整備もされていないトレイルでは、滅多に人と会わない。少し踏み入れただけで、その贅沢な環境に思わず声が出てしまう。辿り着いたHUTでの出会いもまたニュージランド旅の醍醐味。広大な自然と、ナイスな人たち。ニュージーランドを歩く。

現在、山の魅力を伝える特設サイト「Mt. BRUTUS」もオープン中!

photo: Taro Hirano, Toshiya Muraoka / text: Toshiya Muraoka

夜が来る前に、どうにか小屋に着く

乾いた牧草地帯の丘陵と川
乾いた牧草地帯の丘陵を縫うように川が流れ、水分がある場所に森が残る。HUTは、その森の中にあった。

道に迷ってトレイルを外れ、背丈と同じくらいの密集した這松をどうにかよじ登って再びトレイルに戻り、〈Benmore HUT〉に到着した時には20時近くなっていた。

ようやく辿り着いた小屋の前には、カモフラ柄の男たちが立っていて、ハローと挨拶をするも視線が冷たい。「ここ、泊まれるかな?」と息を整えながら聞くと、「ノー、いっぱいだ」と素っ気ない返事だった。

嘘でしょ、どうすればいいんだよと困った顔をしていたら、一人いた女性から「テントや寝袋は?」と訊かれた。寝袋だけは持ってきていると答えると、彼女はしょうがないわねというように一息ついて、「マットレスを貸してあげるから、床で眠るなら大丈夫よ」と言った。

避難小屋であり、トランピングの中継地。ハンターの拠点でもある

ニュージーランドでは、自然の中で泊まりながらトレイルを歩くアクティビティのことをトランピングと呼ぶ。山の中には大小様々な小屋、HUTがあり、誰もが自由に泊まることができる。予約制のHUTもあるが、私が目的地にした〈Benmore HUT〉は予約不要の早い者順で、必要最低限の設備と素朴さが魅力的だった。

南島の中心都市(と言っても、人口は37万人弱とのんびりした雰囲気の)クライストチャーチから、車でおよそ1時間の距離にトレイルの起点はある。17時前に出て、20時過ぎに到着。迷わなければおよそ6km、2時間ほどがコースタイムだが、かなり遠回りをして倍以上歩いている。

恐る恐る扉を開けてHUTの中を覗くと、ベッドが左側にふたつ、右側にひとつ。右奥には木製の机とベンチがあり、正面の薪ストーブには火が入っていた。上部にはカバンや上着がぶら下がっていた。

ベッドに座っていた男に声をかけると、昨日からこのHUTに泊まって、鹿を撃ちに来ているという。「でも、風が強くて明日も難しいだろうな。人間の匂いが風に乗って届いてしまうから」。

HUTはトランピングのためだけでなく、どうやらハンターたちの拠点になっているらしい。

まるでバックパッカーに戻ったよう。文化と情報を交換する空間

荷物を開いて湯を沸かしながら、外の男たちの会話に混ざる。日本人だと言うと、宮本武蔵を知っているぞと話しかけてくる。先ほどの女性のパートナーらしい。彼らと、さきほどのハンター、他にも3人がいて、今日のHUT宿泊者は私を入れて7人の大所帯。

「ほら、宮本武蔵の本、なんだっけ、スリー・リングス・ブック?」と言われて、ああ、五輪の書だから「ファイブ・リングスだね」と答えると、そう、それだと笑った。彼らは南アフリカからニュージーランドに移住してもう15年という。Covid-19の時には、野外活動も制限されていたために久しぶりのHUT泊だった。

焚き火に当たっていた背の高い二人組はポーランド人で、もう二ヶ月旅をしている。南島のあちこちのトレイルを歩いていて、「今年はどこも混んでるらしいよ」と教えてくれた。

続けて濡れた靴を焚き火で乾かしていた男が、「日本人なら、『渋さ知らズオーケストラ』って知ってる?何年か前にポーランドに来たんだけど、俺の人生でベストのライブだったよ」と言う。私はフロントマンの「玄界灘渡部」にインタビューをしたことがあり、「ほら、ふんどしの人だよ」と告げると爆笑していた。

濡れた靴を焚き火で乾かす様子
川の渡渉で濡れた靴を焚き火で乾かしていた。ポーランド人のリシャルド。

そんな風にして夜は更けていく。最初の拒否されたような感覚はあっという間に溶けていき、どうやら本当に「いっぱい」だっただけらしい。

みな親切だが、余計な干渉がなく、居心地がいい。遠くで動物の鳴き声が聞こえる。ニュージーランドには小さなフクロウがいるという話題に移っていく。私はニュージーランドの山奥にいながら、バックパックで旅をしていた学生時代を思い出していた。

HUTは、タイやインドの安宿と変わらず、それぞれの文化を持ち寄り情報交換する場所で、非日常と呼ぶにはあまりにも自然に受け入れられていた。あるいはその寛容さがニュージーランドらしさのひとつかもしれない。

一人ずつHUTの中へ、あるいはテントへと消えていき、疲れ切っていた私も寝袋に包まった。夜中に目が覚めてHUTの外へ出ると、想像よりも遥かに多い数の星が瞬いていた。

小屋の前に座る二人の男性
仕事を辞めて3ヶ月の旅行中。一番遅くまで眠り、ゆったりと支度をしていた二人。これから北島を旅するのだという。

次の誰かのために整えて、それぞれ日常に戻っていく

朝は、早くなかった。日本の山小屋なら日の出前からゴソゴソと音がするが、7時を回った頃にようやく最初の一人が寝床から出てくる。

誰かが湯を沸かし、お茶飲む?とみんなに声をかけてくれる。ありがとうと言ってカップを渡す。ハンターたちは、昨日使った分の薪を補充すべく、山から枯れた枝を拾っている。なるほど、そうやって次の誰かのために準備を整えておくのか。善意のループこそ、HUTの一番美しさかもしれない。

私も少し手伝ってから中へ入ると、昨夜は気づかなかったが、屋根の一部がトタンではなくプラスチックに変わっていて、そこから光を取り込む設計がされている。室内にトップライトが入り始め、窓辺に置かれた花に光が当たっていた。

じゃあ、また、元気で。軽く握手をしたり手を上げたりして、まずカップルが山を降り、続いてハンターたちが銃を担いで出ていった。私とポーランド人2人は、昨日の続きで音楽の情報とメールアドレスを交換した。二人はインダストリアル・デザイナーで、ポーランドのクラクフにある磯崎新の建築を観に来いと言っていた。じゃあ、また、と手を挙げてトレイルを歩き出す。

昨日登ってきたルートはどうやら最初から間違えていたようで、森の中のトレイルは穏やかでかなり泥だらけではあるものの、きちんと目印もあった。朝、ほとんど誰もいない森の中を歩く。時折、木漏れ日を見上げ、川を渡渉する時に透き通った水を凝視する。リセットされたような、再生したような気持ちになって、山を降りた。

歩いてきた道の画像
自分の歩いてきた道を振り返る。いつか誰もいないHUTにも貸切で泊まってみたいと思った。

Benmore HUTへの行き方

Benmore Hutへは、クライストチャーチから73号線を1時間ほど北上し、Benmore Rdへ。トレイル・ヘッドからは、(迷わなければ)およそ2時間。予約の必要はなく、早い者順。

HUTによっては、予約制であったり、料金がかかる場合もある。トレイル情報やHUTの予約など、ニュージーランド自然保護局のサイトで確認できる。