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真実の多面性が映す見えない暴力。三池崇史監督『でっちあげ』インタビュー

「バイオレンスの巨匠」の異名をもつ三池崇史監督が新作映画で扱うのは、メディアやSNSが生み出す目に見えない暴力。20年以上前に起きた事件をもとに、現代社会に投げかける警鐘とは。

photo: Hiroyuki Takenouchi / text: Ayano Yoshida

暴力の本質を問い直す

「暴力描写だけがバイオレンスではない。登場人物たちがつくりだす状況そのものがバイオレンスということもある」

新作『でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男』はどんなバイオレンス的要素を含んでいるかと尋ねたときの、三池崇史監督の答えだ。

本作は、第6回新潮ドキュメント賞を受賞した福田ますみさんによるルポルタージュ『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮文庫刊)に基づいて描かれている。

映画のあらすじは、こうだ。2003年、日本で初めて教師による児童への虐めが認定された。週刊誌の報道をきっかけに担当教師は「史上最悪の殺人教師」のレッテルを貼られ、停職処分になる。さらに児童側を擁護する“550人の大弁護団”が結成され、民事裁判へと発展。報道を見た誰もが、保護者側の勝訴を確信した。しかし、法廷は担当教師による「すべて事実無根の“でっちあげ”」という完全否認から幕を開ける。

「メディアの情報を無防備に浴び続け、鵜呑みにした受け手が自分を正義側に持っていって心地よさを感じている。その状況自体が、とても暴力的だと思うんです」

静かな口調で、しかし確信に満ちた眼差しでこう語る。

「今のSNS時代に通じる怖さでもありますよね。少し前なら自分が誹謗中傷の被害者になることだけを恐れていればよかったけれど、今はそれと同じくらいの高い可能性で、加害者になってしまうかもしれない。そんな警鐘を鳴らしている事件が、約20年前に実際に起きているんです」

キャラクターの立体的な描写

主人公の教師・薮下誠一を演じるのは、『クローズZEROⅡ』(09)以来16年ぶりの三池組参加となる綾野剛さん。マスコミの標的となったことで日常が崩れていく過程を、変化する目の輝きや体の緊張感で巧みに演じる。

体罰を告発する母親・氷室律子役の柴咲コウさんは、自分の子どもが受けたと主張する不当な扱いへの怒りと正義感を、時に感情的になりながらも、ある種の芯の強さを持って演じている。ほか共演には、亀梨和也さん、木村文乃さん、小林薫さんら豪華俳優陣が顔を揃え、個性の異なる演技が、この実話に基づく物語に説得力を持たせている。

この作品で用いた興味深い手法のひとつは、薮下と律子それぞれの視点から同じ場面を描き出すアプローチだ。なかでも印象的なのは、綾野さん演じる薮下が口でチッチッと音を立てるシーン。薮下の視点では、ただ歯に詰まったものを取ろうとしただけの行為が、律子の目には明らかな舌打ちとして映る。

同一の出来事でも、見る角度によってまったく異なる「真実」が生まれることを、映像を通して鮮明に伝えている。中立的なアプローチによって、単純な勧善懲悪を超えた、より深い問いかけを見る者に投げかける。

三池崇史

三池監督は今作で、特定の登場人物に肩入れすることなく、すべてのキャラクターを対等に描くことを選んだ。

「すべての登場人物のなかに少なくともひとつは『あぁ、わかるな』『自分にも、そういう部分があるな』と腑に落ちる点があるんです。たとえばモンスターペアレントと言われてもおかしくない律子も、興味を持ってよく見ると、なんだか魅力的に感じられるのです」

登場人物全員を立体的に描いた結果、観客は薮下を一方的に擁護したり、律子を非難したりするのではなく、事件の全体像を多角的に見ることになる。

さらに、原作者の取材姿勢にも共感を示す。

「原作者の福田さんもルポを書いたとき、同じように取材を進めていったはずなんです。裁判傍聴から取材を始めて、『何かがおかしい』と疑問を持った。そこから被告の教師や原告の保護者へと直接取材を広げ、丹念な調査で思わぬ真実に行き着いた。それが、原作からしっかりと伝わってきました。だから、映画でも真実の追求過程を丁寧に描き出すことを大切にした。作品の目的は真実を暴き出すことではなく、真実を追う過程自体をエンターテインメントとして描くことなんです」

映画づくりの哲学

三池監督のキャリアを振り返ると、こうした「既成概念にとらわれない視点」は彼の創作活動全体を貫く姿勢といえる。40年以上のキャリアで手がけた70本以上の作品は、ホラー、サスペンス、任侠、時代劇、コメディ、Vシネマと多岐にわたる。

ポリシーは明快だ。スケジュールが合い、映像化が可能な作品であれば、どんな仕事も断らない。さらに、どんなに低予算でも、まずは引き受ける。この姿勢は、あらゆる題材や条件の中に創造の可能性を見出す彼の創作観の表れだろう。

とはいえ、どんな人間にも興味を持てない仕事や避けたい案件があるはずだ。なぜ、どんな仕事でも面白がることができるのか。

「『今の常識では無理だ』と他の人が言いそうな仕事でも、私はそうは思わないんです。おそらく、何かしらやる方法はあるし、できると確信しています。そのかわり、『表現は自由にやらせてね』と開き直っている部分もありますね(笑)」

三池崇史

創作に対するユニークな姿勢について、撮影現場での印象的な体験を引き合いに出す。

「助監督だった時代に、とある現場で『いつまで撮らせるんだ!』と怒鳴ったカメラマンがいたんです。それを聞いたときに驚きました。なぜなら、本気で満足のいくものを撮ろうとしたら、ワンカットだけでも一晩中撮っていられる。ライティングをこうしてみよう、ここを変えたらどうなる、って正解がないわけだから。いくらでも試せるんですよ。

でも、現実的にはスケジュールに合わせて動かないといけないから、みんな、妥協して撮るわけです。妥協の仕方こそが勝負なわけですよ。このカメラマンは自分で“撮ってる”んじゃない、“撮らされている”んだって思ったんです」

三池監督の代表作のひとつ『オーディション』(99)は、限られた予算と厳しい環境の中で「どうやって面白くするか」と力を尽くした作品だ。公開当初から日本よりも海外で大きく注目され、アメリカの映画学校では講義の題材にもなるほど、現在でもカルト的な人気を維持している。

「最近、そこで学んだ人たちが配給会社に就職してプロデューサーになり、『日米合同で作品をつくりましょう』と声をかけてくれたんです。現在はその準備を進めています」

デビューから30年以上、70本を超える作品を撮り続けてきた三池監督だが、その創作意欲は衰えるどころか、新たな領域へと拡大し続けている。

「これまで手がけたどんな作品にもジャンル分けできない、撮ったことのないタイプ」と評する新作『でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男』の物語の本質は、三池映画の特徴でもある「バイオレンス」。しかし、そこに映し出されるのは身体的暴力ではなく、情報や思い込みによる目に見えない暴力だ。SNS時代に生きる私たちにとって、この映画が突きつける問いは決して他人事ではない。

綾野剛
『でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男』
2003年に福岡で実際に起きた教師による「児童への虐め」事件を題材にした福田ますみのルポタージュを原作に、三池崇史監督が鮮やかに描き出すダークエンタテインメイント。550人の大弁護団VS一人の教師という圧倒的不利な状況の中、「すべてでっちあげ」と主張する教師の真意とは。メディアスクラムと集団心理が生み出す見えない暴力の恐ろしさと、人間の姿を鋭く突きつける問題作。6月27日より全国公開。