“いないことにしたい”と思っていた

松田崇弥(以下、松田)
庄司さんとは去年フォーブスの授賞式の時に初めてお会いしたんですよね。その時、“私の妹は知的障害があるんですよ”と話してくださって。僕の兄は重度の知的障害を伴う自閉スペクトラム症という特性があります。兄に向けられる世の中の冷たい視線を変えたいと思って、双子の兄・文登と7年前に〈へラルボニー〉を立ち上げました。
今は知的障害のある作家の原画作品を展示販売したり、作品のアートデータを活用し、自社製作の商品を展開していたり、企業や自治体とのコラボレーション事業をやっています。僕は以前から庄司さんのことは知っていましたが、庄司さんも〈へラルボニー〉を知ってくださっていたんだと。
庄司夏子(以下、庄司)
〈ヘラルボニー〉の活動は私にはまったくなかった視点で、本当に衝撃だったんです。私の妹は知的障害があり、今は施設にいるので離れていますが、一緒に暮らしていた時は大変なことが多く、妹に対して正直疎ましいと感じたこともあったし、正面から向き合うことを避け続けてきました。
世界最高峰のレストラン『オステリア・フランチェスカーナ』のシェフ、マッシモ・ボットゥーラの子どもも障害があるのですが、マッシモは自身の子供をはじめ、障害のある子どもたちが働ける場として、パスタ工場を構えています。そこでは地元のおばあちゃんが先生になって、障害のある人たちと一緒に伝統的なパスタを一つひとつ手作業でつくっているんです。そして、そのパスタをマッシモのお店で出しているんですよ。その取り組みに心を打たれて。
そして、それと同じくらいの衝撃を受けたのが〈ヘラルボニー〉でした。松田さんたちは障害のある人たちに真正面から向き合っている。やってること全てがまぶしく見えて。
松田
でも、僕も向き合ってない時期もありましたよ。
庄司
あ、中学生の頃?不良だったんでしたっけ?
松田
いや、まぁ、荒れてたといいますか(笑)。双子の兄と地元の不良グループとつるんで、中学校3年生の頃はほとんど学校に行ってなかったです。それまでは学校にも通ってたし、部活も真面目に頑張っていたんですが、地元の不良たちに兄貴の真似をされて、バカにされ、それがすごく辛かった。
部活の大会に兄が応援に来ると、僕に声をかけてくれるんですが、無視したこともありました。今考えると、兄貴には失礼なことをしました。思春期だったこともあって、不良とつるむことで、社会に反抗して、自分を守ろうとしていたんだと思います。だから、庄司さんと同じように、最初から向き合えていたわけではないです。
でも、その後、高校で地元を離れて、兄貴や母親、地元の友達と離れたことで、人生をゼロからリスタートできた。厳しい学校でしたが、そこで人間的に復帰できて、兄のこともきちんと向き合えるようになりました。
世界と組んで変革を加速させる
庄司
〈ヘラルボニー〉は、アーティストの魅力を伝えつつ、ビジネスとしても成立していて、且つ、世界的な企業にもきちんと評価されているところがすごいと思っています。去年、LVMHイノベーションアワード2024を日本企業で初めて受賞しましたよね。一流ブランドに認められるってものすごく大変だけど、それができたときに、業界全体の価値が引き上げられると私は思ってて。
松田
そう言っていただけて、うれしいです。でも、創業前はこんな未来は思い描いてなかったんですよ。文登と“社団法人ではなくて、株式会社として、きちんとビジネスとしてやっていけたらいいよな”と話していたぐらい。
ただ、〈ヘラルボニー〉の活動を通じて、いろんな人の人生に自分たちの事業が影響を与えるんだと自覚することが多々あって。4年くらい前から、自分達の活動を国内に縮こめず、世界的に広げていったらどうなるんだろうと思い始めました。〈LVMHイノベーションアワード2024〉に挑戦したのも、社会にインパクトを与えたいと思ったからです。

庄司
よくわかります。私も自分が食べていく分を稼ぐんだったら、親しい人だけがくる小規模な料理店でいいと思うけど、それだと料理業界全体の変革はできない。コロナ禍で料理業界がハイリスク・ローリターンだと露呈してしまって、今、本当に人材が不足してしています。
でも、私は料理の世界に入って、素晴らしい方達に会うことができた。だから、恩返しの気持ちも込めて、業界全体の地位を上げていきたいし、自分の活動を通して、若手シェフの活躍を後押ししたい。今はいろんなコンペティションにエントリーして、トロフィーを拾いに行っているんですが、それはなぜかというと、賞を取ると、私の言葉を聞いてくれる機会が増えるから。逆を言えば、そういう履歴書がないと、影響力のある人たちは見向きもしてくれない。
8月から〈ティファニー 銀座〉にカフェをオープンするんですが、こうした世界的規模の企業と仕事したいと思ったのも、変革を起こすには、自分一人の力では限界があると思ったから。だから、松田さんが社会にインパクトを与えたいという思いと共通するところがあると思ってて。
松田
そうですね。僕たちもLVMHと組むのは、自分たちがいい影響力を持つための手段だと思っています。既存の資本主義的な枠組みに加わることへの批判もあると思いますが、夢を最短距離で叶えるために、そういった場所やコミュニティに入っていくことが必要なんじゃないかと。実際、学びもいっぱいありますし。
“みんな平等”という価値観とどう向き合うか
松田
昨年、世界中の障害のある表現者を対象にした国際アートアワード〈ヘラルボニー・アート・プライズ〉を立ち上げました。でも、発表するまでには、いろいろと悩んだんです。賞をつくることは順位をつけることになるんじゃないかという意見もあったから。本来、福祉は順位をつけないという価値観があります。それはそれで良い面もあったと思うんです。でも一方で、それがあるからこそ、素晴らしい才能が突き抜けられないという現実もあると思っています。
“みんな平等”という言葉はすごく強い。でも、本当にすごい才能を持った人が埋もれてしまうのはやっぱりもったいない。だからこそ、僕たちは、フェアに評価されて世に出ていく形を大事にしたいと思いました。今後は〈へラルボニー・アート・プライズ〉を障害のある人にとってのアートの登竜門にしたいと思っていますし、“この賞を取れば、次は〈メトロポリタン美術館〉にコレクションされる”くらいの権威のあるアートプライズにしたいと思っています。先日の授賞式には庄司さんも来てくださって、本当に嬉しかったです。
庄司
授賞式が〈パレスホテル東京〉で開催されたのも、大きな意味があると思ったし、この賞にたくさんの大手企業の資本が入っていることで、“このプライズは本物だ”という信頼につながっていると思いました。こうした場に作家さんが登壇すると、まるでレッドカーペットのように脚光を浴びますよね。それって、世界に向けて発信するにはすごく大事なことだと思うんです。
障害のある家族と暮らすって本当に大変で、外に出れば冷たい視線を浴びることも多いし、生活もままならないことも多い。だからこそ、こういうちゃんとした評価の場があるっていうのは、本人だけじゃなく家族の心も救われると思う。

「ヘラルボニー」という言葉が希望のしるしになるように
庄司
松田さんにとっての成功はなんですか?
松田
例えば、知的障害のある方も通える〈へラルボニースイミングスクール〉や〈へラルボニー書道教室〉をつくったりしたいですね。そして、ゆくゆくは〈ヘラルボニーレストラン〉や〈へラルボニーホテル〉もできたらいいなと思っています。〈へラルボニー〉という名称がついていたら、どんなに騒いでも大丈夫な場所なんだと思ってもらえる。そんなふうに〈へラルボニー〉が意味を持つ言葉として認識してもらえるぐらいになったらいいなと。
あと、障害のある人たちが働ける環境を作っていきたいですね。庄司さんは料理業界に変革を起こしたいということでしたが、そこまで頑張れるモチベーションは何ですか?
庄司
死にはしない、と思ってるからかな。妹と暮らしていた時は、毎晩妹が大騒ぎするので、夜はほとんど寝られず、私は学校の朝礼で倒れるということがよくありました。だから、当時の暮らしの大変さに比べたら、今はどんなことも乗り越えられる。シェフになっていろんな経験をしていく中で、こんなにタフでいられることや、寛容になれたり、ダイバーシティやインクルージョンの考えを理解できたりできるのも、妹との時間があったからだと思うようになりました。
今、ある程度のインフルエンス力を持つようになって、障害のある方のための活動をしたいと思うようになった。できれば、単発で終わるイベントではなく、継続的にやっていきたいと思っていたので、〈へラルボニー〉の存在を知ったことが私の中では大きくて。
松田
ありがとうございます。僕たちはまだまだ小さな会社ですが、いつか食の取り組みができたらいいなと思ってました。その矢先に、庄司さんと会えたので、これから一緒におもしろいことができればと思っています。
