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夏子の部屋 ゲスト:写真記者・松村和彦 老いとどう向き合ったらいいですか?(後編)私だからできることを見つけて、自分らしく発信する

夜な夜な世界中から様々な分野の著名人が訪れる、1日1組の完全紹介制フレンチレストラン〈été〉。オーナーシェフの庄司夏子さんは、女性がマイノリティと言われる料理業界において24歳で独立開業し、2022年にはアジアの最優秀女性シェフ賞にも選ばれた。彼女がシンパシーを感じ、会いたいと思う人に会いに行くこの連載。第7回のゲストは、認知症について取材を続けるフォトジャーナリストの松村和彦さん。少子高齢化が進むこれからの日本で、老いをどう捉え、向き合っていくべきか、語り合います。前編はこちら

photo: Yu Inohara / text: Rio Hirai

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松村和彦の作品
新聞紙をずらすと、夫婦の心の糸が繋がっているように見える仕掛けが。

松村

作品を発表するときは、フルストーリーを伝えるということも意識しています。長年連れ添ったご夫婦を取材した時のことです。認知症を発症した自分の妻から「お父さん」と呼ばれたというお話を伺ったんです。夫ではなく、父親だとみなされた時、「妻との心の糸が切れてしまった」とおっしゃっていました。その話だけを聞くとすごく悲しいし、やるせない。

でも、この話には続きがあって、その旦那さんはお父さんを演じると決めて、妻と心の糸を結び直し、人と人として、また温かな関係を築くことにしたんです。そういった話も含めて伝えることで、認知症の捉え方も全く変わるのではないかと。今日お持ちしたのは会場で配布していた新聞なんですが、二人の話をもとにした「心の糸」を表しています。新聞をこうやってずらすと、若い頃の妻と夫が現れ、糸を結び直しているという見え方になります。

庄司

本当だ!糸だと気づかず、印刷ミスかと思ってました(笑)。そんな工夫がされていたとは。

松村

この新聞は両見開きで一方が1972年、もう一方が2023年という2つの時代の違いも表現しています。1972年という年は認知症をテーマに扱った有吉佐和子さんの『恍惚の人』が発売された年で、当時はまだ認知症という言葉はなく、「老人ボケ」と言われていました。社会の理解も足りず、当事者やご家族は孤立していました。それから50年以上経って、2023年になると「認知症」という言葉が普及し、少しずつですがケアや制度も広がりを見せています。

認知症や老いについてオープンに語り合える世界へ

庄司

私は仕事を始めてから実家を出ていたんですが、父が亡くなってから実家に戻り、今は母と暮らしています。キラキラとした生活を送っていると思われがちですが、現実は捨てられない症候群の母親が貯めこんだモノで溢れかえった家に暮らし、リビングの床で寝ているんです(笑)。

母親に「物を減らして!」と口酸っぱく言いながら、それと合わせて、自分の会社で母を役員にして、簡単なレシート分別作業をやってもらっています。仕事や役割があることが認知症予防にも良いんじゃないかと思って。

松村

素晴らしい。きちんと向き合い、関わってらっしゃる。実際、認知症を発症したとしても、人との関わりや自分の楽しみを大事にして生き生きと過ごす方が、症状の進行を遅らせる可能性が高まると言われています。それってすごく興味深いですよね。

庄司

同世代の友達と話していても、親の介護や認知症の話題は出てこないですし、それ自体問題だなと思っています。だから、松村さんの発信を広めて、多くの人に知ってもらいたい。

庄司夏子と松村和彦
松村さんは2024年の「World Press Photo(世界報道写真コンテスト)」を受賞。京都新聞ビル地下1階印刷工場跡で展覧会も開催した。

松村

僕はこれからも認知症の取材は続けていきつつ、少子化についても取材をしていきたいと思っています。なぜなら、高齢化は少子化とセットで取り組まないといけないから。そういえば、庄司さんのインスタで、広島の小学校で子どもたちの食育支援をされているのを拝見しました。あれはどういったことがきっかけで?

庄司

広島県江田島市で作られているエクストラバージンオリーブオイルをいただいて、すごく質が良くて、感動したんです。聞くと、江田島はもともと柑橘を育てていたらしいのですが、生産者の高齢化が進むにつれ、柑橘の実よりも軽く収穫しやすいオリーブ栽培を始めるようになったそうです。だけど、発信力があまりなく、販売に苦労していると伺いました。

それで、オリーブオイル作りを監修させてもらって、自分の名前を冠したラインを発表することにしました。自分のインフルエンス力を使って、江田島のオリーブオイルの知名度を上げ、売り上げにつなげられたらと。売り上げを生産者に還元し、売り上げの一部は現地の子供たちの食育支援活動にあてています。

松村

自分の影響力をよく理解して、活動されていらっしゃる。

庄司

自分のことは常に客観的に見ています。発信することは得意ですし、いろんな分野の人たちがフォローしてくださっているので、自分が伝えるべきことはやっていきたいなと。

松村

私も認知症の取材を続ける中でどうやって伝えていくかを考えます。庄司さんの場合はご自身がメディアになって発信されていらっしゃいますが、どんなトピックを扱うかはご自身で決めていらっしゃる?

庄司

そうですね。基本的には次世代に知っておいてほしい情報を積極的に発信するようにしています。社会を変えられるかどうかは、若い世代にかかっているから。今、母校の調理師学校で講師もやっているんですけど、そこで事業計画の立て方や資金調達の方法など、通常授業では教えてくれない話をしています。

松村

お店を出すことがどれだけ大変か、学校で教えておいてほしかったと過去のインタビューで語られていましたね。

庄司

そうですね。例えば、お店を出す時は多額の借金をするし、もし事業が失敗したら、親に迷惑がかかるかもしれない。そうでなくても、親は自分より先に老いていく。仕事をしながら、子育てしながら、親を介護する可能性がある。そういったことが頭の片隅にあった方が将来の選択を見失わないんじゃないかと。私も学生の頃は料理業界のいい部分しか見ていなくて、苦労しました。

松村

仕事が軌道に乗っていくのと同時に親は年を取っていく。人生は同時多発的にいろんなことが起こりますからね。

庄司

実は最近、うつ病の子を雇ったんです。彼女はそれまで福井に暮らしていて、2年間引きこもっていたんですが、〈été〉で求人を出した時に真っ先に応募してくれました。

面接で話したのは「今はあなたの親が支えてくれているから、引きこもっていても生きていられる。でも、将来、あなたの親が認知症になったり、介護が必要になった時、あなたが支えなくてはいけなくなる。これからは会社が面倒を見るから、外に出よう」ということでした。

彼女の心に響いたようで、すぐに上京し、会社で借りたマンスリーマンションに住みながら働いてくれるようになりました。最初の頃は休む日もありましたが、少しずつ社会復帰して、今は正社員になり、店の近くに自分で家を借りて一生懸命働いてくれています。

松村

すごいなぁ。人生を変えてしまった。

庄司

スタッフは自分の家族よりも長く一緒にいるので、そういったこともちゃんと伝えていきたいと思っています。

夏子の部屋 ゲスト:写真記者・松村和彦 老いとどう向き合ったらいいですか?(前編)社会や家族と向き合い、自分を見つめ直すということ

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