私のことがわからなくなった父
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庄司夏子(以下、庄司)
2023年の「KYOTOGRAPHIE」で松村さんの展示《心の糸》を鑑賞して、心動かされました。この連載が決まったとき、松村さんとぜひ話をしてみたいと思っていたので、今日は会えて嬉しいです。
松村和彦(以下、松村)
こちらこそお呼びいただき、光栄です。
庄司
松村さんは2017年頃から、認知症当事者やそのご家族の方々から聞いたエピソードをもとに作品を作られているんですよね。松村さんの作品を観た時、認知症の世界を体験する感覚があり、そして、私は長い間忘れていた自分の父親や祖父の介護のことが一気にフラッシュバックしました。
20代前半の私は仕事に夢中で、家族のことを考える余裕はありませんでした。ある時、母から突然「お父さんの命はあと2週間ぐらい」と言われて驚いたんです。一緒に住んでいたのに、父の容態が悪化し、入院していたことすら気づかなかった。
その後、仕事の合間に面会に行ったら、父が母に「隣にいる女性はどなた?」と言ったんですよ。正確には父は認知症ではなく、薬で意識が朦朧としていたようだったのですが、すでに私のことがわからなくなっていたことに愕然としました。
松村
そうでしたか。そんな経験をされていたんですね。
庄司
そして、父を看取った後、今度は母方の祖父が転倒して頭を打ち、記憶障害になりました。それから、母が1時間以上かけて祖父の家に通って世話をすることになり、「介護ってなんて大変なんだ!」と感じました。
そうした父や祖父の出来事はすごく強烈な体験だったのに、その後自分の店の開業などで忙しく、すっかり記憶の片隅においやっていました。でも、松村さんの展示を見て、当時の感情が呼び起こされた。これは誰にでも起こりうる。この対談が認知症について正しく知り、備えるきっかけになればと思いました。
松村
ありがとうございます。僕が認知症の取材を続けていこうと決意したのも庄司さんと同じで、これからの日本で認知症はもっと大切なトピックになっていくし、だからこそ多くの人に知ってもらわなくてはと感じたからです。日本では2025年に約450万人、高齢者の5人に1人が認知症になると見込まれていますが、認知症そのものを正しく理解していない人も多く、いまだ根強い偏見があります。
実際、私も取材を始める前は認知症がどれだけ辛いのか、ご家族がどれほど大変なのかということを伝えていくことになるんだろうと勝手に思い込んでいました。ただ、取材を重ねていくと光を感じる部分もあって、決して悪いことばかりじゃないと知るんですね。それからは、認知症のあえて辛いところだけにフォーカスをして表現するのは違うなと思うようになりました。
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老いは辛く、悲しいこと?
庄司
たしかに。私は老いや認知症に対しては負のイメージを抱いていたんですが、松村さんの展示空間には、それだけではない部分も感じました。
松村
写真はありのままを伝えることはできますが、取材を重ねると、認知症の当事者の方やご家族から伺う認知症の実態と自分の写真が遠く、現実に即していないと感じたんです。そして、もし、自分の発信によって「認知症になると何もわからなくなる」という誤ったイメージや、「認知症=辛い」という負の側面を広めることになったら、認知症当事者やご家族の人にとって生きづらい社会をつくってしまう。そうしないためにも、写真表現を改めることにしました。
私の作品では撮影したデータをデジタル上で改変しています。もしかしたらその表現も当事者が見ている世界とは違うかもしれないけれど、普通に撮ったものが実態から遠いのだとしたら、そうじゃない方法で認知症を伝えるべきだと思ったんです。
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松村
きっかけは46歳で若年性アルツハイマーを発症した方に取材したことでした。彼からは、「認知症を受け入れられるようになってから、これまでの成果主義的な価値観が一変し、日々の小さな幸せを見つけることができるようになった」と教えていただきました。そして、「認知症の良い面も悪い面も知ってほしい」とおっしゃっていたんです。
それは価値観を捉え直したからだと思うんです。できないことは増えていくけれど、自分の心や感情を大事にするようになったと。今の社会は生産至上主義に傾いているから、老いや死に対してネガティブなイメージがつきまとうけど、そうじゃない価値観で老いを捉えたら、もっと穏やかで平和なものに感じられるんじゃないかと思います。
私自身40代に入って、これからは何かを得るよりも、失っていくことが多くなっていきます。仮に失っていくことが悲しいのだとしたら、辛くなると思うんですね。でも、そういう考えを捉え直すことが大事なんじゃないかと思うようになりました。