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洋菓子喫茶の草分けへ。喫茶の町、名古屋で70年の歴史を持つ〈ボンボン〉探訪

名古屋人の喫茶好きは、遥か江戸期、尾張徳川家の茶の湯好きに端を発するとか、発しないとか。そんな地だから洋菓子文化もまた、喫茶店とともに育まれてきた。名古屋で70年近い歴史を持つ洋菓子喫茶の草分けへ、いざ。

photo: Kunihiro Fukumori / text: Yuko Saito

あっちにボンボン、こっちにもBONBON。道に迷うことはないけど、入口にはちょっと迷う。名古屋で洋菓子といえば、必ずその名が挙がる〈ボンボン〉には、洋菓子部と喫茶部、2つの入口がある。

創業は昭和24(1949)年。始まりは菓子。洋菓子の発展には、第一次大戦後に日本にやってきたドイツ兵捕虜が大きく貢献したが、名古屋もまた、例外ではない。「創業者の父親がドイツ兵から洋菓子作りを学び、ドイツ式カフェーなどを開いていた。そんな姿に影響を受け、洋菓子作りを始めたそうです」と、創業者の孫にあたる岩間浩衣さん。

当初は、ビスケットのような菓子をデパートに卸していたが、昭和31(1956)年、現在の地に、洋菓子の小売りと喫茶を一つにした〈洋菓子・喫茶 ボンボン〉を構える。“ン”を重ねた店名には、運が連なるようにとの願いが込められているそうだ。

いち早く生クリームに
衣替えして、大にぎわい

画期的だったのは、オープン間もなく、当時はまだ珍しかった生クリームのケーキを作ったこと。「日持ちのするバタークリームが主流の時期に、いち早く冷蔵のショーケースを置き、いまと同じような生クリームのケーキを並べていたそうです」。これが瞬く間に評判を呼び、時には長い行列ができたという。サバランにショートケーキ……。

当時から、変わらぬ味と姿で続くケーキはいくつかあるが、生クリームをスポンジ生地で包み、栗をのせた「マロン」は、いまもナンバーワンに君臨するボンボンの看板娘。人気を後押しする生クリームは、時間を置いてもおいしく食べられるようにと、甘めに仕上げるのが創業からの伝統で、苦めのコーヒーとは、長年の名コンビ。

地下の工房で作る40種余りの生ケーキが勢揃いするのは、モーニングを終え、昼時を過ぎた午後2時頃。待ちかねていたように、ケーキを買いに訪れる親子連れが入れ替わり、立ち替わり。それを横目に通り過ぎ、スポーツ新聞片手に、いつもの席でいつもの一杯を嗜むオジサン。その向こうには、3つのケーキを2人でシェアする若いカップル……。

現役を続ける昔ながらのペンダントライトや、朱色のソファが、老若男女が思い思いに過ごす、のどかな洋菓子喫茶の景色に深みを添える。そんないつもの風景に目を細めながら、浩衣さんは言う。「うちは変わらないからこそ、多くのお客様が足を運んでくださるのだと思います。ソファも張り替え、張り替えしながら、ずっと使っているんですよ」

ちなみに、名古屋喫茶名物のおまけも、ちゃんと。飲み物にもれなく、ミニケーキがつくのは、洋菓子喫茶ならでは。13時までのお楽しみだ。

名古屋〈ボンボン〉外観
名古屋の繁華街に程近い国道沿いに店を構える〈洋菓子・喫茶 ボンボン〉は洋菓子好き、喫茶好きの憩いの場。もち、駐車場完備。