海と魚と、猫の町
長崎の市街地から車で約20分ほど、長崎半島の南東部に位置する茂木(もぎ)町は、海と山に囲まれた小さな港町。海の向こうには熊本県の天草の島々を望み、後方には雲仙普賢岳。町を歩けば味わい深い石蔵や鎧戸のあるお屋敷が残り、ひだまりでは猫たちがのんびり昼寝。のどかだけどどこか魅惑的でノスタルジックな町並みに出会える。
町の歴史は古く、その昔、神功皇后が三韓征伐の際に名もない港を訪れ、裳を着替えたことから当地を「裳着」と表記したのが由来、という一説があるそう。好漁港として知られ、美味しい魚と人情味あふれる港町は、朝日とともに一日が始まる。
朝日と漁船を望む宿〈月と海〉
宿泊は、穏やかな海が広がる橘湾でかつて賑わいを見せていた「いけす割烹旅館 恵美」を改修してオープンしたホテル〈月と海〉。その名の通り「月と海」を望む絶景が自慢の宿では、ぜひ早起きして海から昇る朝日を拝みたい。
夜明け前、日が昇り始める前に目を覚ます。布団の中でもぞもぞしながらぼんやり窓の外を眺めていると、空がだんだんと白んでいく。この日はあいにくの曇り空だったけれど、雲の隙間がだんだんと明るくなり、太陽の光を受けた空と海がピンク色に煌めく。そうして静かに、少しずつ、港の朝が明けていく。
かつての料亭の風情を残したホテルの中に入ると、雰囲気は一変。1階はモダンに改装された共用ラウンジがあり、客室はすべて2階に。窓辺にリラックスできる空間が設けられた「上弦月」や、ベッドに寝そべったまま目の前に海が見える「下弦月」、料亭の大広間に描かれていた松の木をそのまま描いた「満月」など。
また山側にも、ゆったりと落ち着いた客室が用意されている。部屋の広さやコンセプトなどがすべて異なり、月の満ち欠けの名前が付いた客室名も風情があって楽しい。
漁港の路地に、魅力がいっぱい
港町の朝時間
朝日が昇ると、夜の間息を潜めていた茂木の町は一気に活気づく。町の散策には、ホテルで貸し出してくれるレンタサイクルがおすすめ。爽やかな朝の空気の中を、チャリで颯爽と町の中へ繰り出す。
朝の6時半から営業をしている〈オロン〉は、町の人だけでなく長崎市の中心部からもわざわざ車で買いに来るお客さんが絶えないという評判の店。昔ながらの調理パン、とにかくバリエーション豊富なサンドイッチ、シンプルな旨味勝負のバゲットやベーグル、クリームたっぷりのコロネ、クリームパン……。その品揃えの多さに驚かされるが、マスターの浦川順吉さんと東京の名店で修業した息子の太一郎さんが親子二代で厨房に立ち、それぞれの得意分野で腕を振るっているのだ。
店頭で、仲睦まじくパンを頬張っていた夫婦に話しかけると、「毎朝お墓掃除をした後にここに寄って、コーヒーとパンを食べるのが日課なのだ」と教えてくれた。店内には無料コーヒーのサービスもあり、店の軒先にはちょっとした椅子が用意されているので買ったパンをその場で食べられることもできる。
〈オロン〉から路地の方へ少し歩くと、手作りの豆腐店〈浦崎豆腐〉がある。看板らしい看板もないのでうっかりすると見逃してしまうが、脇へ回って厨房の方を覗いてみると水回りはすっかりきれいに片付いていて、この日の仕込みはすでに終わっているようだった。声をかけると、すぐに奥から気の良い女将さんが出てきて中を案内してくれた。豆腐は昔から近くの井戸水で仕込んでいるとのこと、海が近いせいか豆腐作りと相性がいいのかもしれない、〈月と海〉の朝食で出される冷奴も浦崎さんの豆腐であることを教えてくれた。宿に戻って朝食を食べるのが楽しみだと伝えると、ならばその前にと朝の出来立ての豆乳をサービスしてくれた。汲みたての豆乳は、旨味がすごい。豆腐をそのまま飲んでいるようで、けれど後味はすっきり。朝から元気をもらい、港の方へもう少し足を延ばすことにする。
この町の人にとっては海こそ玄関口。天草と長崎市を結ぶフェリー乗り場には、〈もぎたて鮮魚市〉と食堂が併設されていて、朝から新鮮な鮮魚や旬の果実や野菜が並ぶ。天草からの定期便の到着を待つ船着場の食堂では、地元の母さんたちがせっせと朝の仕込みに精を出している。
港町で、何もしないのんびりを味わう
見晴らしのいい日には雲仙や天草、茂木の町を一望できるビュースポットや、神社仏閣や洋館造りのホテル跡地など歴史的建造物といった見どころも満載。宿が用意しているヨガや体験ワークショップなどアクティビティも充実しているし、朝から空いているお店もたくさんある。
朝から活動的に過ごすもいいし、港町の暮らしを垣間見て町の人々と触れ合うのも旅の醍醐味。あるいは海を眺めながら、何もせずにただただぼーっと過ごす贅沢な朝もいいだろう。
路地を抜けるたびに、角を曲がるたびに思いがけない出会いが待っている港町で、思い思いの滞在を。