あらゆる人々を受け入れる巨大本堂、
寛容な思想が生む開かれた全体空間。
長野市の中心に位置する善光寺。建築は巨大で堂々とした風格だが、周囲を見渡すと遠くからの参拝者や地元の子供たちが大勢集い、遊び場のような賑わいだ。江戸時代には「一生に一度は善光寺参り」と言われる庶民の参詣の地だった。特定の宗派や檀家を持たず、当時女性が参詣できた貴重な存在だ。
「善光寺の魅力は、一つの寺が都市を作り上げたことです」と藤原徹平さんは語る。伽藍(寺院の建物群が構成する場所)が南から北へ移動して生まれた参道沿いの空白地帯に、後に仲見世と宿坊が造られ、今も残る都市の骨格となった。「しかも参道の終点には長野駅がある。現代の都市の構造とつながった古建築という珍しい例です」
国宝に指定されている本堂は間口約24m、奥行き約54m、高さ約26mという破格の大きさ。東大寺などに次ぐ世界最大級の木造建築だ。藤原さんが注目するのは奥行きの長さから生まれる横面のボリューム。伽藍が造営されたのは644年だが、現在の本堂は1707年に再建されたもの。
藤原さんが感嘆の声を上げながら「ゴシック教会のように、人々を受け入れるために大きくなっていったのでは」と語るように、参拝者が土足で入れる板敷きの外陣の広さは、江戸時代の庶民信仰の賑わいを反映している。さらに内々陣の床下には「戒壇めぐり」の設備もあり「教会やモスクのような空間の奥深さがある」。
「東大寺は国の威信を示すための大きさだが、善光寺は人々の祈りの思いを受け入れるための大きさ。戦国時代が終わり、平和を願う思いが表れている気がします」
塀がなく、外に開いているのも特徴だ。駅と参道がつながっているため、近所の通勤・通学路としても使われている。「同じ7世紀に造られた法隆寺と対比して考えると面白い。法隆寺は塀の中に古い建物がそのまま残っているのに対し、善光寺は本堂がどんどん拡張し、ついには都市にまで広がりました」と藤原さん。
「宗派や男女の区別がないという意味でもオープンで、近代社会の思想と合致している稀有な存在」と語る。
現在の長野の都市作りの核となり得た、周囲に外壁のない開かれた伽藍内部構造。
仁王門と山門の間を通る道の両側には宿坊と仲見世が連なり、長野市中心部の基盤を作っている。
「川の堆積でできた緩やかな坂道の参道も魅力。自然とつながっている感覚になる」と藤原さん。シークエンスの変化も楽しい。