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長井短「優しさ告げ口委員会」:雪かきの人

演劇モデル、長井短さんが日常で出会った優しい人について綴る連載エッセイ、第14回。前回の「船頭な人」も読む。

Text&Illustration: Mijika Nagai

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雪が好きだ。東京で生まれた私にとって雪は貴重。小学生の頃、久しぶりに雪がどっさり積もった土曜の昼間、どうしても友達と遊びたいから習い事を休ませてくれと親に頭を下げたくらいだ。その気持ちは大人になった今も変わらず、本当なら「今日雪あるから仕事やめて遊びません?」と言いたい。無理だけど。

遊べないのに積もっている雪ほど意地悪なものはなくて、雪遊びで転ぶのはいいけど、ただの移動で転ぶのは嫌だ。っていうかそうだ。転ぶじゃん。いつも通りのペースで出かける準備をしていたけれど、雪が積もった今朝はきっと、駅まで少し時間がかかる。やだどうしよう。遅刻は避けたい。そうは言っても今更取り返しはつかないから、絶対に転ばないようにと気合を入れて、レインブーツに足を入れた。

マンションのエントランスを出て愕然とする。雪がない。というか、既に道の端に追いやられている。え?早くない?時刻は朝6時。あたりはまだ薄暗いというのに、住んでいるマンションの前はきちんと片付けられていた。

長井短_イラスト

6時に整備が完了してるってことは、一体何時から雪かきを始めてくれていたんだろう。てか誰が?ふとエントランスの真横にある101号室の窓を見ると、カーテンの隙間からうっすらと灯が漏れていた。この人だ。この人しかいない。101号室に住んでいる大家さんが、真っ暗な中雪を片してくれたのだ。

私の住んでいるマンションは管理会社と契約をしているから、マンションの掃除とかって管理会社の仕事なはずなのに。あぁ……沁みた〜。雪のない道はまだ濡れていて、街灯の光を反射させている。私にはそのキラキラが「がんばれ、いってらっしゃい」の言葉のように届く。

コロナで家にいる時間がぐっと延びた。うちのマンションは回覧板とかもないし、住人同士の交流はほとんどゼロだけど、騒音とかゴミの出し方とかの乱れを感じたことがない。みんなそれぞれ、粛々と自分の生活を送っている気配だけがある。そういう空気は、この大家さんから生まれていたんだ。誰にも見えないところで、密かに環境を整えてくれていたから、私たちもきちんと住もうと思えている。

丁寧に重ねられた雪は、私の背中を強く押す。「今日も一日頑張って、気をつけてここに帰っておいで」と言われているようだった。雪を片付けてもらう。夜は静かにする。ゴミは綺麗に出す。それだって立派なご近所付き合いで、私はこのマンションで、みんなと生きているんだと感じた。

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