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長井短「優しさ告げ口委員会」:タクシードライバーの人

演劇モデル、長井短さんが日常で出会った優しい人について綴る連載エッセイ、第6回。前回の「ウルフカットの人」も読む。

Text&Illustration: Mijika Nagai

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タクシードライバーの人

影が深夜まで及んだある日、久しぶりにタクシーで帰った。現場の制作さんから受け取った一万円札を握りしめて、真夜中の渋谷でタクシーを探す。

人通りに対して多すぎる客待ちのタクシーはどことなく淋しげで、乗り場に向かう足が重たくなった。ここから自宅までは¥3,000もかからないだろう。なのに、私の手元にはピカピカの一万円札。これで払うの嫌だなぁと思った。大きいお金を出して運転手さんに嫌がられてしまったことがあるからだ。

早朝からの撮影で体はクタクタだけど心は軽やかいい気分だったから、この気持ちを最後の最後で壊したくない。どうか優しい運転手さんに当たりますようにと願いながらタクシーの前に立ち、ドアが開いた瞬間運転手さんに質問する。「一万円札しかないんですけど大丈夫ですか?」。

すると運転手さんはにこやかに「もちろん大丈夫ですよ、どうぞ」と言って私を車内に迎え入れてくれた。あぁよかった。ホッとして座席に腰掛け目的地を伝えると、車は滑らかに走り出す。その時「お気遣いありがとうございます」と運転手さんが言って、窓から流れ込む夜風が私を冷やすのと反対に心が温まる。

長井短のイラスト

人に気を遣ってもらった時、どうしたらいいか27歳になった今もわからない。「気を遣わせちゃって申し訳ない」って気持ちでいっぱいになりがちな私は、いつも焦ったように「すいません、すいません」と口走っていて、これじゃあ気を遣ってくれた人も居心地が悪いだろう。

わかっているけどなんて言えばいいのかわからなくてなかなか直らなかった私の悪癖は、この運転手さんのおかげでようやく回復の兆しを見せる。そうだ、ありがとうだった。優しくしてもらったらありがとう。超シンプルな話。せっかく気を遣ってもらったのにそれに対して謝るのは、相手の思いやりを否定することにもなりかねない。

「本当は優しくしたくないのに無理させてごめんなさい」って。違う。だって現に私だって、無理して運転手さんに質問したわけじゃないのだ。「お気遣いありがとうございます」。言われた言葉を心の中で繰り返す。明日誰かに優しくしてもらったら、絶対に私もこう言おう。

運転手さんはそんな私に気付かずに「ここを真っ直ぐ行ったほうが早いんですよ」なんて言いながら上機嫌に車を飛ばす。運転手さんが教えてくれたもう一つのことは、上機嫌は伝染するってことで、私もこれから機嫌のいい時は、隠さず堂々とるんるんしながら過ごそう。

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