弦のチューニングをしていると思っていたら、すぐに弓をあて、聴いたことのあるフレーズを奏で始める。バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」のプレリュード。「チェリストとしてずっと弾き続けたい曲」と渡邊ゆかりさんは言い、弓を自在に動かして豊かな音を響かせる。「チェロは人の声にいちばん近い音が出る楽器だと言われています」。
チェロを弾き始めたのは6歳のとき。「姉がヴァイオリンを、母がピアノをやっていたので、チェロがあればピアノトリオができると思った母に勧められた」。体の小さい彼女が大きなチェロを弾くのはたいへんだったに違いない。「始めたころは分数楽器と呼ばれる8分の1サイズのチェロでした」。
小学校4年生でジュニアオーケストラに入団し、中学生になったときにフルサイズの楽器を弾き始めた。大きなチェロを担いで移動するので、「肩や腰を痛めたり、夏は背中が汗でビショビショになったり」。
幼き日からの英才教育で、スムーズにプロの演奏家に至ったわけではない。「ジュニアオーケストラの皆で演奏するのは楽しかったけれど、練習が好きじゃなくて、高校生になったときにチェロの個人レッスンをやめて、テニス部に入っちゃった」。
音楽は趣味でいいと考える気持ちを変えたのは、高校3年生の春に聴いたプロの演奏会。「いつかこの人たちと演奏したいと思い、高3の5月から音大に行く準備をした」。観客として接した素晴らしい演奏が、迷いを断ち、彼女を音楽の道へ引き戻したのだ。
2025年6月から、東京交響楽団の正楽団員となった。じつは、この楽団でソロ首席として演奏しているチェリストの伊藤文嗣さんは、中学生だった頃の彼の演奏をゆかりさんのお母様が聴いて、彼女にチェロを勧めるきっかけになった人物だというから、長い時間を経た、縁の巡り合わせを感じる。
6歳で弾き始めたチェロ。プロ奏者としてフリーランスで活動し、あちらこちらの演奏会に呼ばれるエキストラ奏者もしてきた。「いろいろなオーケストラの正楽団員のオーディションを受けて、今回が10回目の挑戦」。楽団員の枠に空きが出ると、オーディションに30人から60人のチェリストが応募して、一人選ばれたり、あるいは一人も選ばれなかったりという厳しい世界。
「無理かもと思った時期もあったけれど、やっぱりやりたいと思って続けてきた」。巧い演奏家だからといって、必ずしも採用されるわけではない。オーケストラが目指す音との相性があり、他の演奏家との協調性も必要だ。
「エキストラ奏者をやってきたので、様子を窺い過ぎることも多くて、もっと自分がやりたいように弾いていいと言われます」。場の空気を読みつつ、自分の演奏を出す。「オーケストラや指揮者によって、同じ曲でも曲の解釈や音楽の作り方が違うから」と、ボウイング(弓の使い方)の練習を繰り返す。
クラシックのコンサートでは、お客様が演奏に合わせて手拍子をする習慣がない。プロの演奏家は、お客様とのコミュニケーションをどのように紡いでいるのだろうか。「やっぱり、客席が埋まっていて、拍手が温かいと嬉しい」。そういったシンプルなことで、コンサートホールの空気はガラッと変わるものだ。
チェリストがオーケストラの前方に陣取るがゆえのエピソードも話してくれた。「お客様の表情が見えるので、ニコニコして聴いてくださっている方を一人探して、その方に向けて演奏します。地方の演奏会で嬉しそうなおばあちゃんのお客様がいると、この人に自分の音楽を届けられる最後の演奏会かもと思ったりもする」。
確かに、ライブ演奏は一期一会、同じ演奏は二度と聴けない。そして、演奏がその後の人生を左右する出会いになる場合もある。例えば、高3のときの渡邊さんが、圧倒的な演奏に接して、音楽の道を歩み始めたように。
改めて、彼女にとって「良いチェロの演奏」とは、どういうものだろうか。「ミスがあるとかないとかじゃなくて、音色で癒やされたり、やる気が出たり。私が目指しているのは、やっぱり心に届かせる、感動してもらうこと」。
何度か道を迷いそうにもなった。東京交響楽団の正楽団員となったいま、「演奏家の仕事を長く続けていきますか?」と問うてみた。弦を弾く手を止めた渡邊さんは、短く答える。「続けたいです」。じつは昨年の春、貴重な楽器に出会い、新たに購入した。
「チェロはヴァイオリンよりもさらに作られる個数が少なくて、欲しい楽器がすぐに見つかるわけではない。ずっと探していたんです」。人の声にいちばん近い包容力のある音が、スタジオに響く。いい音こそが、迷いを断つ。ずっとずっと、音は鳴り続ける。