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手は口ほどに #5:バーの文化を守る、女性バーテンダー

働く手は、その人の仕事ぶりと生きてきた人生を、雄弁に物語る。達人、途上にある人、歩み始めた若者。いろいろな道を行く人たちの声にゆっくりと耳を傾けるポートレート&インタビュー連載。

photo: Masanori Akao / edit&text: Teruhiro Yamamoto

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シャカシャカとリズムを奏でるような音が響く。手に包み持ったシェイカーを規則的に振り上げる立ち姿が、凛と美しい。派手な動きや、これ見よがしのパフォーマンスをすることはない。「カクテルを作るには、八の字に振るベーシックなシェイクが理にかなっているので」。手首のスナップの利かせ方、脇を締める姿勢、そして笑顔。バーテンダーとしての所作は、父から学んだ。銀座を代表する名店「Bar保志」に立ち続ける父の保志雄一氏は、カクテルの国際的なコンペティションでグランプリを獲得した伝説のバーテンダーだ。長女の保志綾さんが幼いころには、家にお米が入ったシェイカーのおもちゃがあったという。「それを振って遊んでいると、角度が違うと、父から厳しく教えられました」

もともとは、バーテンダーになるつもりはなかった。学生時代に世界の紛争地域で社会課題が山積していることを知り、ジャーナリストを目指そうと考えていた。「子供のころには、バーテンダーは水商売だといじめられた記憶がある」。20歳になったとき、父の仕事を理解したいと思って始めた中目黒のバーでのアルバイトが、バーテンダーの道に進むきっかけとなった。2017年からは、オーナーバーテンダーとして西麻布の「Bar Dealan-Dé(バー ディランジ)」に立つ。「自分がジャーナリストとしてインタビューに出かけなくとも、お客さまが喋りに来てくださる。多くの方と出会えて、すごくいい仕事だと感じます」。一人ひとりのバックグラウンド、体調や食べたものなどを聞き出しながら、その日に相応しいカクテルを作るためにシェイカーを振る。

2024年5月に開催された〈ホイッスルピッグ〉というライ麦を使ったプレミアムウイスキーのカクテルコンペティションで、綾さんの作った「MJ’s espresso」が優勝を果たした。日本中から200名ものバーテンダーが挑んだコンペティションのテーマは「Relax with Rye」。「香り豊かな〈ホイッスルピッグ〉に、エスプレッソの香りでリラックス効果を誘いました。そもそも〈ホイッスルピッグ〉にエスプレッソっぽい香りがあるので、それと同化する分身のようなカクテルが作りたかったんです」。使った材料は、コンデンスミルクやメープルシロップといった、どこにでも手に入るものばかり。「自家製の何かじゃないほうが、どこの国でも楽しんでもらえるじゃないですか」。目指したのは、世界中でトレンドになっているエスプレッソマティーニの進化系カクテル。フロートしているホイップクリームにピンクソルトを加え、その塩味で素材の味や香りを引き立てたところに、彼女の才気溢れるオリジナリティがある。

コンペティションで優勝して、バーテンダーからの引退も考えた。「主婦として子育てに専念しようかと思っていたら、『違うだろう』って父に言われました」。日本のコンペティションではなく世界でグランプリを獲った父の、「スタートラインに立っただけ。次にやることがある」の言葉が、綾さんの心に沁みた。チャンスがあれば、いろいろな大会にエントリーしていきたい。加えて、若い女性バーテンダーが活躍できる場をつくりたい。彼女たちと共にイベントを開催したり、コンペティションの審査員としてアドバイスをしたり。「バーテンダーとしての目標である父は、誰からも愛されるスターのような存在。でも、私は私らしく、自分の持ち味を活かしていきたい」

世界でも、日本のバーはレベルが高いと評される。「ただ、最近はオールドスクールなカクテルがないがしろにされたり、お客様との会話が大切にされていなかったりします。社交場としてのバーの文化を、絶やしてはいけない」。父から娘へと繋いできたバーテンダーの仕事を、綾さんの2歳になる息子に継いでほしいか、最後に問うてみた。「プライベートとの切り替えが難しいこの仕事は、させたくないなぁ。でも、私も夫もバーテンダーだからか、息子はお風呂でシェイカーを振る真似をする。やりたいと言えば、応援しますよ」

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