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手は口ほどに #4:東京チェンソーズ、木工の工房長

働く手は、その人の仕事ぶりと生きてきた人生を、雄弁に物語る。達人、途上にある人、歩み始めた若者。いろいろな道を行く人たちの声にゆっくりと耳を傾けるポートレート&インタビュー連載。

photo: Masanori Akao / edit&text: Teruhiro Yamamoto

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木が好きで、幼稚園のころから自然の中で遊ぶのが好きだった。「木の名前を覚えたいとか、そういうのではない。ただ、その空間に自分がいられるだけで充分なんです。自然とは常に寄り添っている感覚があって、なにか悩んだときも、気がつけばいつも木の隣にいた」。

木工にはまったのは10歳のとき。「憧れ夢広場と名付けられた小学校の特別授業で、糸鋸を使って、色の違う木を切り合わせて組み込んで絵を作る職人を見て、自分でもやりたいって思った」。誕生日に両親に電動糸鋸を買ってもらい、見よう見まねで木の象嵌をやってみた。

いま関谷さんが働く東京チェンソーズの工房では電動糸鋸を使う機会は少ないが、大型の木工機械や手工具で木工に向かう。檜原村で伐採された枝や根っこを使った雑貨や家具は、「木山もの(そまもの)」と名付けられている。木を植えて材木をとる山を指す、古い言葉「杣(そま)」が語源だ。

「中学生のとき、2年ほど不登校の時期があったんです。そのときに、母親と頻繁に河川敷に散歩に行って猫と遊んだりしていて、癒やされた感覚があった。仕事を何にするかとなったときに、都心に自然を増やす仕事ができたらいいなと思って」

最初は造園業、その後、24歳のときにまずは常勤アルバイトとして東京チェンソーズにやってきた。木を伐ったり、道をつくったり、苗木を植えたり。東京チェンソーズ代表の青木亮輔さんと共に木育サミットに参加したのをきっかけに、「木工を仕事にする気はなかったけど、いよいよやってみるかとなった」。

東京チェンソーズは、面積の93%が森林である東京都檜原村の会社だ。「きこり」と聞くと斧やチェンソーで木を伐採する仕事をイメージするが、それは全体の一部でしかない。植えて、育てて、伐って。「1本まるごと」を標榜して、材木の販売だけではなく、未利用材を使った雑貨や家具やおもちゃをつくり、森林空間そのものの活性化も行う。こうしたすべてを「山仕事、承ります」と発信する東京チェンソーズの存在は、日本の林業に一石を投じている。山の森から流れ出す川は、下流の街を通り、海にいたる。山が荒れていくと、都心の災害や環境問題にもつながるのだ。

「趣味で木工をやっていたころは、製材された乾燥した木しか触ったことがなくて。東京チェンソーズに来てからは、湿った原木も加工するんですが、乾燥の具合によっても違うから切るのが難しい」。それでも、山を見て、木を見て、あの枝先は建材にするには太さが足りないから捨てられるのかなって思うと、木工で何かを作りたくなる。

「縮み木というグネグネ曲がった木は、歪みの部分の断面を磨くと艶が出てきれいなんです。皮をむいた後の丸太の表面もツヤツヤしていたり、凹凸があってキラキラしていたりする」。木も人も、一本一本、一人ひとり違う。「家具になったとしても、道具として使うだけじゃなくて、木と触れ合って、愛でてほしい」。木のことを話しているのが、人に真っすぐ向き合っていく大切さを語ったようにも聞こえる。

10歳で木工を始めたときから、器用だったわけではない。「自分のことを器用だとは思っていませんね。それよりも、吸収力だと思っていて。うまい人がやっているのを見て、質問して、吸収する。そして、また作るときに反映する」。これまで、そして、これから。長い時間をかけて、関谷さんの中に、技術という養分が蓄積されていくのを感じた。

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