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手は口ほどに #2:16歳の能楽師狂言方、次世代への幕を上げる

働く手は、その人の仕事ぶりと生きてきた人生を、雄弁に物語る。達人、途上にある人、歩み始めた若者。いろいろな道を行く人たちの声にゆっくりと耳を傾けるポートレート&インタビュー連載。

photo: Masanori Akao / edit&text: Teruhiro Yamamoto

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舞台が始まる前の、狂言の楽屋。シテを勤める父の後ろにしゃがみこみ、両手で腰帯をキュッと締める。かつて、能楽には装束を着せる専門の「物着方(ものぎせかた)」がいたが、現在では演者どうしで着せ合う。まだ若い能楽師狂言方である大藏康誠さんにとって、着付(きつけ)は大切な修業のひとつ。一人の演者に二人がかりで着付をするが、後からかかるには3年、前からかかるには5年もの修業が必要だという。この日は演者として舞台に立たないとあって、装束をひと揃いにまとめたり、着崩れを防ぐために要所を糸で綴じ付けたりと、下働きに徹する。「古くからある装束を傷めないように、爪をちゃんと切ってこいと教えられました」。

能が面をつけて謡い舞う幽玄の世界であるのに対して、狂言は庶民の日常を描く台詞劇。素顔で面白おかしく演じられる喜劇がほとんどで、初めて見る者にもわかりやすい。開演の時間が近づく。「やす、そろそろ準備を始めて」と声をかけた大藏基誠さんは、狂言方の二大流派のひとつ「大藏流」宗家25世大藏彌右衛門の次男。誠翔会を主宰し、室町時代から700年以上続く伝統を重んじながら、海外のオペラのごとく幕前にシャンパンが飲めるKYOGEN LOUNGEで裾野を広げている。その息子、康誠さんの初舞台は4歳7カ月のときだ。美しい青年に成長したいま、「死ぬまで狂言をやめることはありません。ただ、覚悟がなかなか決まらない」と揺れ動く気持ちを正直に吐露する。「父がつくった誠翔会を後世に残していきたい。繋げていくために、どうやったらこれからの時代に合った広め方ができるのか」と、煩悶する日々だ。

2019年の映画『よあけの焚き火』では、大藏基誠さんが10歳の康誠さんに狂言の稽古をつける様子が描かれている。「映画で共演している女の子に、狂言は楽しいよと話すのが映っていますが、あれは台詞ではなく、アドリブでとっさに出た言葉でした」。取材した日、舞台に立つ予定はなかったが、申し合わせといわれる台詞のやり取りが、楽屋で並ぶ兄弟子との間で突然に始まる。「楽しいです。みんな好きでやっているので、狂言をイヤイヤやっている人は一人もいない」。映画のなかで赤いニット帽を目深にかぶっていた幼き日の真っ直ぐな気持ちは、いまも変わっていない。

この日の演目は「文相撲」。大名を大藏基誠さんが、アドの太郎冠者を大藏教義さんが、相撲取りを吉田信海さんが演じた。舞台が始まると、康誠さんは袖の覗き窓からじっと見つめている。「舞うにしても演じるにしても、指を揃えるのは基本。そのうえで、役によって肩を入れたり、勢いをつけたりと、教えられています」。月に2、3回、地方公演もあると4回も5回も舞台に立つこともある。本舞台に続く橋掛かりに演者を送り出すとき、揚幕を上げる竿を持つ手に力がこもる。16歳の能楽師狂言方。伝統を引き継ぐものとして、覚悟が決まりつつあるように見えた。

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