畑で野菜を採る手が、まるで料理を作っているかのように見える。芽キャベツを茎からもぎ、ベビーキャロットを土から抜いていく。「間引いて抜いた小さいニンジンも、そのままサラダに入れる。葉っぱもおいしいし」。野菜には、走り、盛り、名残がある。スーパーマーケットでは盛りの野菜が重宝がられるけれど、走りでも名残でも、調理法を工夫すればおいしくいただける。野菜に土がついているのも当たり前、形が不揃いなのも当たり前。「例えば、ニンジンや大根の先が2つに分かれているのは、抜いたときにそこに大きな石があるから。短いのは、その下にモグラが通って土がないから。そういった理由が、畑にいるとわかってきます」。
土を耕さない、不耕起栽培と呼ばれる農法。生きた根が張り続けると、それが土を耕して、肥沃になれば野菜は勝手に育つ。農薬や除草剤も使わない。「外から何かを持ってくるのではなくて、この畑にあるもので成り立つようにしている。ここに生える草を刈って、そのまま置いておく。それが窒素として溶脱して、すぐにではないけれど、ゆっくりと作物に活きてくる」。食の安全や環境問題の意識が高まったことで、不耕起栽培に改めて注目が集まっている。コロナの影響で、消費者の価値観が変化したのも大きい。環境再生型の有機農業は、英語でリジェネラティブ・オーガニック・アグリカルチャー。文字通り、新しい時代に、次の世代に、繋がっていく農法だ。
ただ、「正しさは後からついてきた」と言う。何を食べたいか、そして、自分で食べるものは自分で作りたいと思うシンプルな気持ち。研修をしたのが不耕起栽培の農家で、カマ一本で除草作業をするのがめちゃくちゃ楽しくて、やりたいのはこれだと直感した。「楽しいのはいいですよ。正しさでは世界は変わらない、と思っているので。そして、おいしいというのも大きな理由になる」。私たちは、誰もが、食べることをしている。仮に農家ではなく消費者であったとしても、この地球が続いていくために、一日3回は投票できるのだ。
就農して6年が経ち、手の感覚がすごく大事だと感じる。「種撒きは素手でやる。土に何粒落ちたかを手で測りながら、撒くのをゆっくりにしたり、早くしたり」。土の良さも、手で直接触るとわかる。「どれくらい土が水分を含んでいるか、湿度計で測るよりも、手のほうが早い。例えば昨年の7月は一回も雨が降らなかったので、そんなときにも土が乾燥しすぎないように、手で感じたら、瞬間的に管理の仕方を考えている」。野菜を触るときも、手袋はしない。おいしさも、手で感じられるほどに敏感になったということか。「いや、そこまでは。ただ、土で汚れた手で野菜を食べるのは、大好きです」。作るのが楽しい、食べておいしい。それを誰かと話して共有していく。幸せは、そこから生まれる。