原点は、ぼんやり見ていた40年前の風景
潮田登久子
40年前、私がこの写真を撮っていた頃、島尾は、まほや近所の子供たちを撮っていて、その後、写真集『まほちゃん』(オシリス、2001年)を刊行するわけですが、私はそれを見ていたんです。
子供がいたし、家の中でほとんど遊びみたいにしか撮っていなかったものを作品として発表しようなんて、全く考えてなかった。島尾が撮るものと似てしまうんじゃないかという恐れもずっとありました。
でも、40年ぶりに見返して、これは私だけの言葉を使った、私の写真なんじゃないかと気づいた。もしかして形にできるのではと、PGI(ギャラリー)の高橋朗さんに相談したら、「営業してみます」と言ってくださって。
版元はtorch press、デザイナーは須山悠里さんにお願いすることになりました。
須山悠里
まずはパソコンで年代ごとにフォルダ分けされた写真をザーッと見せていただいて、当時の思い出話なんかも少しお聞きしましたね。
潮田
ノスタルジックな写真集にはしたくないとだけ伝えてお任せしてね。
須山
ご自身でセレクト、構成すると、いろんな思いが反映されますよね。
潮田
そうそう。私はいいと思ったものにこだわってしまうタイプだから。
須山
当時は不安で複雑な気持ちもあったし、綺麗な思い出みたいにはしたくないと伺っていたので、初案のダミーブックをお持ちしたときは、まほさんの写真をそこまで入れたつもりはなくて。
でも、潮田さんが「まだまほが多い気がする」とおっしゃって。何枚か差し替えていった記憶があります。
潮田
子供は特別、というのは当たり前だと思うけれど、生まれてからの40年間を考えると、可愛いだけじゃないし、楽しいだけじゃない。いろんなことが起こるのが人生ですから(笑)。
須山
時系列に見せると、当然まほさんはページをめくるごとに大きくなっていって。読者はそこに感情移入して簡単に良い感じの物語ができてしまう。なるほど、ここで間引くのかと。タイトルもそのときに決まったんですよね。
潮田
いろいろ注文をつけたわりに、懐かしい写真を見ていると、情緒的なタイトル案ばかり浮かんでしまって。ストレートな言葉が合うから、『マイハズバンド』がいいんじゃないかと。
須山
カタカナ表記の姿も格好いいし、みんなで「それだ」となった。
潮田
携わっている人たち全員の意見が一致して進むことは奇跡に近いから、これでうまくいかないはずがない!と思いました。須山さんのアートディレクションも、窓辺の景色や物、一つ一つの写真が、ズンとくるんです。知り合って間もないのに、私の中をみんなわかっちゃって、すごいなと。
須山
あえて写っているものの意味は考えないようにしていたかもしれません。背景を推測して勝手に家族のストーリーを立ち上げてしまうことは避けたくて。
ページをめくっていくなかで、数秒前、数分前に見た残像が次の写真にどうつながり、切断されていくのか、ある種の持続性と転調で緊張感を保ちながら、変にエモーショナルになることなく最後までいくことを考えていた気がします。
例えば、今回のほとんどの写真は同じ部屋の中で撮られているから、リフレインのように同じ物が出てくる心地よさがあるじゃないですか。
潮田
一部屋しかなかったからね。
須山
島尾さんの妹マヤさんがまほさんが生まれた記念にくれたという「幼きイエズス」もどこかしらに写っている。
実は、『まほちゃん』も見返したんですが、あれには一回も写っていない気がして。潮田さんが一度は捨てた写真を島尾さんが救出し、今、写真集になっているという経緯も含め、そうした視点の違いがとても面白いなと。
潮田
プリントしたら印画紙の箱に入れるだけ。しかも捨てようとしてね(笑)。家の中で冷蔵庫を撮り始めてから、少しずつ作品を作ることへ意識が向かって、10年ほど撮り続けて写真集ができる頃、本と本が置かれる環境を撮ることにのめり込んで、また20年でしょう。
『冷蔵庫』や『本の景色』の原点は、ぼんやりと見ていた40年前の景色にあったのだと、『マイハズバンド』で気づくことができた。
須山
潮田さん独得の時間の感覚があるんですよね。印刷立ち会いのときも、刷り出しを確認して、OKだったら本刷りが始まるんだけれど、潮田さんはOKを出した後にもう一度ゆっくり見直されていて。「あれ? もし駄目だったらどうしよう」と(笑)。
潮田
『本の景色』のときは止めて版を取り直したことも(笑)。今回の写真集は、6×6の中判と35mmの写真をそれぞれまとめた2冊が帯で絡まるような仕様になっているでしょう。
実は、ちょっと扱いづらいんじゃないかなと思っていたんです。でも友人が、「2つを結ぶ帯だから破かずに大事に扱うように」と旦那さんに言ったという話を聞いて、それはそれで面白いなと。
須山
大事なものが扱いにくいって、なんかいいですね。