器は道具。気に留めないほど生活に馴染む、過剰じゃないものがいい
キッチンに立つことが少ないので、器にあまり興味はなかったんです。転機になったのは、築130年の日本家屋で2拠点生活を始めたこと。友人やスタッフがよく遊びに来て、なにかと入り用だったものですから、蔵前のアトリエから程近い古道具店〈白日〉で25cm前後の取り分け用のお皿を20〜30枚ほど見繕ってもらいました。
その時に知ったのが陶芸家の福村龍太さん。銀彩や金彩で作られた器は品があるけど、粗野な雰囲気もあり、経年変化していくさまも素晴らしくて。装飾的なものは好みじゃなくて、“道具として過剰じゃない”というのが僕にとってはすごく大事なんです。
この銀彩のマグカップはアトリエでコーヒーを飲む時に毎日使っていますが、その際に「福村さんの器だ」って意識したりすることはない。そうやすやすと買い替えたり手放したりしない日用品だからこそ、生活に馴染むものを自然と選んでいますね。

福岡県うきは市の〈日月窯〉の2代目・福村龍太。銀を用いて装飾する「銀彩」の技法を操る、若き陶芸家だ。こちらは白釉をかけたあとに、気泡の出るマンガン系の釉をかけ、表面をグラインダーやペーパーで丹念に磨き、その上に銀の釉薬を塗り、さらに窯で焼いたもの。「うちの子供に割られたものもあるけど、そのままお香立てとして使っています」
