木を眺め自然に触れて、幸せを感じる母との一日。
第二回:小川公代(文筆家・大学教授)
『PERFECT DAYS』の主人公、平山は渋谷の公共トイレを掃除するエッセンシャルワーカー(生活や社会機能を支える仕事に従事する労働者)。人々のケアを担う重要な仕事を地道に行っている。文学に描かれるケアの思想を研究してきた小川公代さんは、コロナ渦に難病の母親を地元から東京に呼び寄せた。自らもケアラーになった小川さんは、この映画で自分ではないものとの共生に惹きつけられたという。
「私にとってのMY PERFECT DAYのひとつは、母が幸せな一日を送ること。そして彼女にとっての幸せは自然に触れることです。体が不自由な母との遠出は簡単ではないなか、この秋、家族で鎌倉に出かけました。
昼間は澄み渡った青空の下、母を支えながら紅葉し始めた木々を一緒に眺めて、この木や葉っぱは美しいねとか、川に空が映っていてきれいだとか、みんなで他愛もない話をする。夜は野菜と発酵料理のレストランで料理人が手間暇かけて作ってくれたメニューをわいわい言いながら食べる。
その日、母は幸せだったでしょう。思えばこのように、一日の中には自分ではない人との関わりや、さまざまなケアが積み重なっています。だからひとりではなく誰か、何かと共生し、あなたがいてよかったという一日もPERFECT DAYだとつくづく思います」
人間は人間だけで生きられない。山があり木があり、生態系があってその中で人間は生かされている。自然に触れると、その当たり前のことに気づかされる。
「映画の中で幸田文の『木』を古書店で求める平山は、まさに木のような人。彼は毎日公園の木を見上げて、家の植物には水をやる。経済的なことに価値を置かず、この随筆集に出てくるように、ただ控えて、木さながらに佇んでいる。さらにこの本には生活のための家事、つまりケア労働をして初めて木のようになれるとも書かれています。
それは年中を通してコンスタントに行わないとできないルーティンの仕事であり、まさしく平山がやっているエッセンシャルワークです」
木を眺めてちっぽけな人間の存在を自覚したり生命力に励まされたりするのは、木が人間よりもはるかに長い時間を生きているから。人間である自分を長いスパンで見守るのは、映画『ベルリン・天使の詩』での天使と似ている、と小川さん。
「人間とは違う価値観を持つ存在が天使だとすれば、平山は天使的な存在であり、その価値観の世界を理解する人だと思うんです」