石若 駿が語る、ジェイソン・モラン
初めてジェイソン・モランを聴いたのは、アルトサックス奏者のグレッグ・オズビーの『Banned In New York』(1998年)での演奏。
最初はロドニー・グリーン(Dr)の演奏を聴いていましたが、セロニアス・モンクやジャッキー・バイヤードの影響のあるジェイソンの演奏が、異彩を放っていて、リーダー作から参加作まで遡って聴くようになりました。
2017年にジェイソンが来日し、僕は広島でのソロ公演に参加。19年にはアーティストのジョーン・ジョナスとジェイソンがコラボレートした『Jason Moran‶SKATEBOARDING"Tokyo』が、足立区の〈MURASAKI PARKTOKYO〉で開催されることになり、ジェイソンと僕、須川崇志(B)が演奏することに。
タイトル通り、内容はスケートボード選手とミュージシャンのセッション。最初はトリックに失敗するスケーターが多かったものの、ショーの中盤から、高度な技が成功し始め、バンドの演奏、さらにはオーディエンスの興奮ともシンクロし、会場にはミラクルが起こっていきました。
松丸 契(Sax)も飛び入り参加。その様子は、とんでもなく感動的なものになりました。この公演の事前リハーサルはなく、数曲の候補が挙がっていましたが、本番でほぼやらず。ぶっつけ本番の即興演奏。共演経験があったので、ジェイソンのフィーリングや演奏を把握していて、『‶SKATEBOARDING"Tokyo』の時は、すんなり演奏に入れたと記憶しています。
2016年、ジャズをはじめ、さまざまな音楽を発表する〈Yes Records〉を立ち上げたジェイソン。ジャズ研究家であり、後進へのエデュケーションにも積極的。ミュージアムのキュレーションなど、活動は多岐にわたっています。ジャズを続けるうえで、常に大きな意味を持つ行動を取る姿に、とても影響を受けています。