石若 駿が語る、Aaron Choulai
ピアニストとして、そして主宰する〈Namboku Records〉では、トラックメーカーとしても活動するアーロン・チューライ。彼が東京藝大の大学院、僕が附属高校へ入学した15年前に出会ったんです。
たびたび校内で会うようになった後、テナーサックス奏者の吉本章紘さんのカルテットで一緒に活動するようになりました。
アーロンは出会った当時、すでにオーストラリアやNYで経験を積んでいたんです。彼は自分の音楽をメルボルン・スタイルと呼んでいて。それは1920年代のニューオーリンズのスタンダードに、フリージャズを取り入れたような、日本ではあまり聴いたことのない形式。すごく斬新だった記憶があります。
世界中で活動してきた視点から東京のジャズシーンを俯瞰し「基盤を固め、シーンを作って活動することに意義がある。自分たちの音楽を作れるよう、考えようぜ」など、ミュージシャンとしての意識も学びました。
もちろん、音楽好きの友達でもあり、気づけば江古田で毎日のように飲んでたりして。僕が影響を受けすぎて、果たして自分は何ができるのか、考えるようになりました。
時たま衝突することもありましたが、今は家族のような大切な仲間です。僕がルーク・スカイウォーカー、アーロンはオビ=ワン・ケノービのような存在です。
そんなアーロンが、今年から芸術機関〈オーストラリアン・アート・オーケストラ〉の音楽監督に就任するため、東京を離れることに。
昨年末、金澤英明さん(B)と参加しているアーロン・チューライ・トリオのお別れライブを開催したんです。結成したばかりの10年前に訪れた札幌で再演奏できたのも感慨深かったな。
日本とオーストラリアをつなげたように、各地の音楽家同士をつなげてくれるそう。今後どんな景色を見せてくれるか、楽しみです。