小川悟
札幌はもともとハウスミュージックが入ってくるのが早かったんだよね。DJ NORIさん(*1)とか、日本の中でも特に早い段階で〈Paradise Garage〉(*2)に遊びに行っていた人たちが札幌に何人かいて、そっちの音楽を早々に持ち帰ってきたんだよね。
あと〈Precious Hall〉ができる前からあった〈WALL〉ってクラブが、音響的にもいろいろな工夫をしていたおかげで、音の良し悪しなんてことが日常的に話題になる状態だった。
KUNIYUKI TAKAHASHI
僕も80年代にはクラブによく遊びに行ってハウスも聴いていたのですが、90年代にはアフリカ民族音楽とか中近東の音楽に傾倒してパーカッションを叩いていました。その頃に〈Precious Hall〉のパーティに参加させてもらう機会を得たんです。
小川
あの時は、本物のパーカッションを聴きたいっていうことで、セネガルからわざわざパーカッショニストを呼んだんだよね。
KUNIYUKI
その後も、悟さんに声をかけてもらってたびたびパーティに参加させてもらいましたね。自分が演奏で参加しない日でも、遊びに行った時には必ず、音楽やパーティそのものが持つエネルギーを持ち帰らせてもらった。
単に「楽しかったね」だけじゃ終わらない、先のビジョンまで考えさせられるっていうか……うまく説明できないけれど、いまだにその感覚は変わらないですね。
小川
みんな外でうちの話をしてくれるでしょ?だからそれを聞きつけて来た人は、ものすごく頭でっかちになっていたりするんだよ。着いた途端に携帯のライトつけてスピーカーを眺めて、3分くらいフロアにいたと思ったらバーカウンターに戻ってきて「音最高ですね!」とか言うんだよ。
「嘘だろ?」って思っちゃうね。ラーメンだって最後のスープまで飲まないとわかんないし、洋服だって袖を通してしばらくしないと着心地なんてわかんないだろ。だから、ここに来たらゆっくり楽しんでほしい。
KUNIYUKI
「音が良い」とか「空間がかっこいい」とか〈Precious Hall〉について客観的にわかりやすく説明しようとすればできるかもしれないけれど、本当に大切なことは、そこにいる人たち一人一人が何を感じたかってこと。
だから僕は、〈Precious Hall〉は誰のための場所でもなくて、みんなのための場所だと思うんです。
小川
ナンパする人がいないから、そういうことを期待してくる子は帰っちゃうけどね(笑)。今まで来ていた人も、これから来る人も一緒に楽しめるようにって思ってるよ。今は下は20代前半から上は60代までの人がレギュラーパーティを持っているんだけど、この場所でみんな一緒に楽しんでる。それは、札幌だからできることかもしれないね。
KUNIYUKI
そうかもしれないですね。東京だと大きすぎる。
小川
そう。昔〈CISCO〉(*3)ってレコード屋があったんだけど、東京は街が大きいから、ハウス、ヒップホップ、レゲエ、トランスとジャンルで店舗が細かく分かれているのね。でも札幌の人口だと一軒で事足りるから、みんな同じ店に行くことになる。知らない間にいろんなものをシェアする環境が生まれていたのかな。
KUNIYUKI
〈Precious Hall〉はどのようにして今のような空間になったんでしょう。
小川
僕も30歳で〈Precious Hall〉を始めて、いろいろなことに悩んでたんだよ。楽しいだけの音楽でいいのか、もっと突き詰めていくべきなのか。僕はプレーヤーじゃなくて、プレーヤーの環境を整えることが仕事なんだけれど、何をしなければならないかが明確に見えてこない。
そんな時にデイヴィッド・マンキューゾ(*4)と出会うんだよね。NYで『The Loft』をいったん休止していた1998年頃に来日したんだ。〈Precious Hall〉でのパーティが終わったあと、デイヴィッドが長い手紙と30項目くらいの注意事項を書き残して帰っていったんだよ。
KUNIYUKI
何が書いてあったんですか?
小川
例えば、「お前はまだ、こんな感じとかあんな感じという感覚で音響を組んでいる。やっていることになんの根拠もない。まだSTEP1だ」と。
それは、圧巻だったよ。30項目の中には「地域の人と良い関係を築け」「消火設備をちゃんとしろ」なんてことも書いてあった。僕がほかの箱のオーナーから学ぶことは、だいたいが売り上げを伸ばすこととかビジネスについて。
DJから学ぶことはDJがどういうプレーをしたいかっていうこと。でもデイヴィッドはいろんなこと全部を知っている人で、根本的に違ったんだよね。その時教えられたことを今でも続けてる。デイヴィッドが最後に来た時には「頂上は近い」って言ってたけどね。いつだって、「お前、手抜いてないか」って言われる気がしてるんだよ。
KUNIYUKI
そういうことが今の〈Precious Hall〉に繋がっているんですね。パーカッショニストだったあの頃から時も経って、僕は今は海外のクラブにライブで呼んでもらうことも多くなりました。札幌から遠く離れた北欧のクラブにいても、音楽に没頭して汗を流しながら踊って「いくところまでいく」ような人たちの姿を見ると、〈Precious Hall〉にいる気持ちになれるんです。
*1:札幌出身のDJ。1979年にDJ活動を開始し86年に渡米。NY拠点に、有名クラブでプレーし、89年に帰国。
*2:NYで1977年から87年まで営業していたクラブ。ラリー・レヴァンがメインDJを務め、そのプレースタイルや音響システムが語り継がれる。
*3:90年代に日本のアナログレコード店最大手といわれ、日本のクラブカルチャーを支えてきたレコード店。2006年には南2条の札幌店を閉店し、08年にはオンラインを含む全店閉店。
*4:NYのダンスミュージック界の先駆者。DJであり、1970年にスタートした会員制パーティ『The Loft』を主宰した。徹底的に音響設備にこだわり、アンダーグラウンドカルチャーを育んだ。2016年に72歳で亡くなった。
ILL-BOSSTINOが語る、〈Precious Hall〉と札幌。
ここの音質、その向上の幅はほかと次元がまるで違う。無論、音が良ければすべて良しと言いたいわけではありません。ただ最良の音があれば、会話や人間関係にも良い影響を与えるのをここで目撃してきました。それは人を思慮深くもするし、謙虚にもする。ただの週末の出会いの場から、人生の神秘を考察する場になり得る。
あとここには音楽評論家がいない。その仕事を否定はしませんが、語られる時間軸の広さが違う。ここでは熱烈なる音楽ファンであり40年選手でもある先輩から直接音楽を知る。自分がそこに来る前にそこで起こっていた経験を分けてもらえる。曲名、曲順、 それらの神がかったミックス、伝説の一夜……、話を聞く時、自分もこの歴史の果ての枝であると強く実感する。
そして彼らをそこまで夢中にさせている音楽を探究してみたくなる。で、気づけば20年以上が経ってるってわけ。死と誕生を分かち合いながら、基本の顔ぶれは変わらず、ただ時間だけが過ぎていく。4、5時間でロングセットとか言っちゃうDJなんていねえ。僕にとって札幌はずっとそんな感じですね。