Visit

北海道大学巡り。近代北海道の歴史はここから始まった

一般にも広く開放された北大は、晴れた日に朝からゆっくり散歩をするのには最適な場所だ。小川も流れる気持ちの良い構内には北海道を切り開いた人々の歴史と建築が詰まっている。札幌を知るためには北大は欠かせない。

Photo: Tetsuya Ito / Illustration: Marina Tanaka

北の心臓。

北海道大学、通称「北大」の前身、札幌農学校が開校したのは1876(明治9)年のこと。旧東京大学よりも1年早い開校だった。箱館戦争が終結したのが1869(明治2)年だから、明治新政府がいかに重視し、その設置を急いだのかがわかる。

当時、蝦夷地改め北海道にはロシア南下の脅威があった。ぼーっとしている余裕はない。北海道開拓は新政府の重要課題の一つだった。
それにしても、新しい国づくりの根幹に農業(酪農を含む)を据えたというビジョンの明確さは見事だ。その指導者育成のために設立されたのが札幌農学校。ここで育まれた知識と経験は後に北の大地をたくましく切り開いていくのである。

初代教頭(事実上の校長)には米国マサチューセッツ農科大学学長であったウィリアム・スミス・クラークが招聘された。そう、あの「青年よ、大志を抱け!」のクラーク博士である。今日でも北大、いや札幌といえばクラーク博士だが、実は滞在期間はわずか8ヵ月間と短い。しかし、クラークイズムは札幌農学校の基盤となり、後々まで学生の中に生き続けたと伝わる。

しかし、よくよく考えるとクラークはすごい。内戦がようやく終息したばかりで、どう考えても混乱のさなかの、見ず知らずの極東の地、そのさらに未知の土地・北海道に赴任する決断……なかなかできない。クラークは生涯、札幌での思い出を大切にし、死の間際、「札幌で過ごした8ヵ月間こそ、私の生涯でもっとも輝かしい時だった」と言い残したと伝わる。クラークの気概が伝わる話だ。

札幌農学校の入学試験に合格した第1期生はわずか24名。当時の授業はすべて英語で行われた。先生が外国人なのだから当然だが、学生たちはさぞかし苦労したことだろう。大志だけではなく、かなりの学力を必要としたのだ。

明治という新しい時代に、先進国の知識や技術を積極的に学び、広大な大地を切り開くという国家プロジェクトの壮大さ。その胎動はこの学舎から始まった。北大キャンパスを歩けば、その鼓動が聞こえてくる。

歴史的建造物の博物館、北大キャンパスを巡る。

札幌駅から歩いてすぐ、北9条に北大の正門がある。キャンパスに足を踏み入れると普通の人々が多いことに気づく。冬などは軽い斜面に積もった雪を滑り台にして遊ぶ子供がいる。学校施設なのに地域と隔たりなく繋がっているように感じられる。

気持ちの良いキャンパスは徒歩か自転車で見て回るのが楽しい。正門から直進すると間もなく「古河講堂」が見えてくる。その先のロータリーの一角に「クラーク像」がある。そこから南北約1㎞を貫くメインストリートを北上、「総合博物館」を左折した先に「ポプラ並木」……

北海道大学内 ポプラ並木
ポプラ並木/1903年の小規模な植林に始まり、1912年の植苗によりほぼ現在のスタイルに。2004年9月の台風により半数近いポプラが倒壊したが、全国からの寄付により、復元された。

こんなふうに歴史的建造物を眺めウキウキ進むのだが、そのハイライトは何といっても北18条門を過ぎた先にある「札幌農学校第2農場」の建物群である。

緑の木々の中、赤い屋根のクラシックな建築物が佇むさまはなんとも美しい。クラークが構想を残して札幌を去った1877年に、後を託された2代目教頭であったウィリアム・ホイラーが基本設計した「モデルバーン(模範家畜房)」。このほかにも明治末期に建てられた施設が整然と並んでいる。これらの施設はどれも当時アメリカの大規模酪農や農業に用いられていた最先端技術の結晶だ。

北大の資料には当然のことながら、当時、札幌農学校に在籍していた外国人教師の功績が多く語られている。しかし、そうした教師以外にも北海道の農業の西洋化に貢献したお雇い外国人エドウィン・ダンやルイス・ベーマーなどの存在を心に留めておきたい。ダンはクラークからの信頼も厚く、クラークはダンをアシスタントに切望したという。ダンは札幌農学校の教師ではなかったが、その関わりと貢献は多大だった。

モデルバーンをはじめとする札幌農学校第2農場の施設の屋内には、札幌農学校発足以来の古い農機具がたくさん展示されている。初期のトラクターなどは導入当時、垂涎の的、おそらくは感嘆の声の中でお披露目されたであろう。古びた農機具の陰に、燃える志を抱く若き札幌農学校生たちの息吹が感じられる。

伝統の北大農場に立ち140年余の時間を俯瞰。

〈北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 耕地圏ステーション 生物生産研究農場〉……長い。簡単に言うと北大農場。ここで飼われているホルスタインは実に由緒正しい牛なのである。それらは1889(明治22)年、日本で最初にアメリカから輸入された3頭のホルスタインの雌牛、敷島、漣、千鳥の末裔なのだ。北大には飼育する牛の血統を記録した「牛籍簿」なるものがある。

敷島、漣、千鳥が1号、2号、3号……
以来、雌牛が誕生するたびに番号が与えられ、2021年には1320号にまで達している。ちなみに、この牛から生産された牛乳を〈北大マルシェ カフェ&ラボ〉で飲むことができる。北大農場は関係者以外立ち入り禁止。今回、取材の申請をし、特別に入れていただいた。それはここからどうしても見ておきたい風景があったからだ。

北海道大学のホルスタイン
農場でのんびり草を食む北大のホルスタインは文字通りすべて“血統書付き”。100年以上にわたり、その系譜が牛籍簿により正確に管理されているということは驚異的と言えるだろう。北大の底力を感じる。

招き入れられた農場ではホルスタインの雌牛がのんびりと草を食んでいた。広い囲いの中には18頭のホルスタインが放牧され、自然の牧草だけを餌に育てる実験をしている。目の前の牛があの敷島、漣、千鳥の末裔たちかとしばし感慨に浸る。

緑がまぶしい農場の向こうにはポプラ並木が静かに大きく風に揺れていた。その向こうに札幌の高層ビルが聳え、さらにその奥に藻岩、盤渓の山々が控える。この農場に立ちたかった理由。それは、ここから眺める風景こそが札幌農学校の学生たちが見た風景から現在まで、140年余を俯瞰するものではないかと考えたからだ。

折しも台風が通過した青空に、夏の名残の雲がもこもこと湧き立っていた。光満ちる北海道の空は格別だ。草原の牛と青い空はあの頃と同じ。その空に高層ビルが立ち並ぶ景色を見て、札幌農学校の学生たちはなにを思うのだろうか。

北大キャンパスを巡ることは、札幌の歩んできた時間を巡ること。北大には稀少な札幌の原風景が残されている。北海道はここから大きく成長していった。北大はいつでもその中心であり続ける。北大は北海道の心臓のような存在だと思えてならないのである。

札幌農学校第2農場 「牝牛舎」
札幌農学校第2農場「牝牛舎」/1876年、クラーク博士の構想によって造られた北海道で最初の実践農場施設。一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設が並べられている。日本人が見たことのなかったアメリカ式の大規模施設は今見ても大迫力。
北海道大学 周辺MAP

北海道大学見どころマップ

1:札幌農学校第2農場
2:古河講堂
3:旧図書館
4:クラーク像
5:旧昆虫学及養蚕学教室
6:ポプラ並木
7:北海道大学総合博物館


北海道大学の正門まではJR札幌駅から徒歩で約10分。日本の国立大学では最大規模の敷地面積を誇る北大は、札幌キャンパスだけでも約180万㎡。
南北は地下鉄で約3駅分。歩いてもいいが、札幌駅周辺で自転車をレンタルして回るのがおすすめ。セイコーマートはじめ、構内の売店で北大グッズ、博物館でミュージアムグッズを買ってお土産に。