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安西水丸作品が武蔵野美術大学 美術館にやってきた!寄贈された作品たちの今

2022年9月、武蔵野美術大学 美術館・図書館に、イラストレーター・安西水丸の原画や直筆原稿の大部分が寄贈された。「美術大学という後世のために作品を活用できる場所に寄贈したい」というご遺族の思いを継ぎ、現在、美術館では1万点を超える作品資料の調査、整理が進められている。今回は、そんな美術館のアーカイブ現場に潜入!

photo: Yoshio Kato, Anna Abe / text: Anna Abe

アーカイブ作業は宝探し

1967年に武蔵野美術大学内に開館して以来、美術作品やデザイン資料などの収集と保存、データベースの構築、展覧会の企画、開催、図録の刊行などの活動を行う武蔵野美術大学 美術館・図書館。主要な収蔵作品は、3万点に及ぶポスターや400脚を超える近現代の名作椅子など。その作品群の中に1万点以上もの安西水丸の原画や直筆原稿などの作品資料が仲間入りした。

博物図譜や椅⼦のコレクションを閲覧できるアプリ制作といった、アーカイブのデータ公開にも力を入れている美術館のため、今後は寄贈された安西の原画にも期待が高まる。今回は、そんな美術館のアーカイブ現場に潜入。学芸員さんが作業する様子を見せてもらった。

1981年から2014年の亡くなる直前までフリーのイラストレーターとして活躍し続けた安西水丸の仕事は、広告、雑誌の表紙や挿絵、書籍の装丁や漫画、絵本、小説など多岐にわたる。そのため、アーカイブ作業も一苦労。膨大な数の原画や資料等をデータベースにするために、掲載された媒体名や、年代、出版社名など目録をつけ分野ごとに一つずつ仕分けていく根気のいる作業だ。

学芸員の鳥越麻由さん(左)と本岡耕平さん(右)
学芸員の鳥越麻由さん(左)と本岡耕平さん(右)。寄贈された時の状態を崩さないよう、一つずつ仮番号をつけていく。(取材:2023年3月23日)

しかし、地道な中にも心躍る瞬間も。この日は、BRUTUS掲載のイラスト原画から安西の幼少期の作品まで「こんな作品があったのか!」とついつい見入ってしまうものばかりで、宝探しをしているような気分に。

安西水丸イラスト原画
安西のイラストの特徴は、見る人に想像の余白を与えるような、自然体な線。その持ち味を生かしているのが、トーンのように貼り込んで使うカラーシート“パントーン・オーバーレイ”。ペンで線画を描いた紙の上に、透明のアセテートフィルムをかぶせ、その上から“パントーン”を貼りつけ色を付けていく。そのクリアでフラットな色彩と、“パントーン”のはみ出しやズレの風合いが、安西作品の重要な要素となっている。
写真は、1983年〜2005年にマガジンハウスで出版されていた文芸雑誌「鳩よ!」内で使用されたイラストの原画。

また、データベースとして作品を残す上で、複写も重要な作業。作品・資料の一つ一つを丁寧に撮影していく。安西のイラストにはフィルムが使用されているため、反射や影が出ることを避けるために、ディフューザー(半透明のシート)を噛ませて光を拡散させるなど、作品ごとの特徴に合わせた工夫も大切なポイントだ。

武蔵野美術大学での複写作業の様子
学芸員さんが作品を整理する横でカメラマンの赤羽佑樹さんは黙々と撮影。照明は、撮影台の両脇から当てることで、均一な明るさになるよう設定。カメラのレンズは対象物が歪まないように70〜200mmと長めのものを使用。様々なデータで残せるように、高画素で撮るそう。

作品資料をピックアップしに安西水丸事務所へ!

今回、安西水丸事務所から作品資料をピックアップする現場に取材班が同行させてもらった。1万点を超える安西作品の数々だが、これらを美術館に運ぶ作業もまた学芸員の仕事。

事務所は東京・神宮前、賑やかな表参道から少し脇道にそれた閑静な住宅街に佇む簡素なマンションの一室。出迎えてくださったのは、事務所スタッフの方々。中には、安西の秘書を30年務めた大島明子さんも。

亡くなる直前まで仕事部屋として利用していたその空間には、ペンや画材が置かれた仕事机、収集していたスノードームなどがずらりと並ぶ棚、まるで時が止まっているかのようだ。

玄関から入ってすぐ横の6畳ほどの部屋が、作品を保管する部屋になっていて、安西のイラスト原画が入ったA3サイズのボックスや執筆した書籍等の資料関係が、壁2面に設置された作り付けの棚に綺麗に保管されていた。

安西は、整理には無頓着だったようだ。「みなさんが整理してくださって」と事務所の方は話す。亡くなった年に銀座の〈クリエイションギャラリーG8〉(現在は活動終了)で開催した「安西水丸展」のキュレーションを担当した小高真紀子さんが、展示に際し、原画や印刷物、直筆原稿など種類も年代もバラバラにまとめられていたものを、一から整理したのだそう。

事務所の方は、作品が寄贈されることに「ほっとした」とおっしゃっていたが、作業が進み棚が徐々に空になっていく様子を見ながら、少し寂しそうだった。やはり共に過ごしてきたものが手元から離れていくのは、どこか侘しさがあるのかもしれない。

大学美術館としての役割と展望

武蔵野美術大学の美術館がこれだけまとまった量のイラストレーションの原画を収蔵するのは今回が初の試みだ。そのためアーカイブ作業は日々手探り。イラストレーションの原画を多く収蔵する他の美術館とも互いに情報交換をしていく予定だそうで、美術館同士の連携も楽しみだ。

そして、1980年代から2010年代まで第一線で活躍し続けた安西の作品から紐解くことができるのは、各時代の出版文化やカルチャーだ。その時代の空気の中にどっぷり浸れるだけの量が、武蔵野美術大学という学生の学びの場に一堂に会した意義は大きい。熟覧して表象文化を学ぶこともできれば、パントーンを使った安西の画風を生かし独自の作品を生み出す学生も出てくるかもしれない。「今後はこれまで以上に、大学の教育に美術館の所蔵品が活用されれば」と学芸員の内田さんは話す。

美術館には、学生に還元できる魅力ある作品が多く眠るが、授業で学生がそれらの作品に触れられる機会は限られているのだそう。そのためこれからは、大学と美術館の横断した関わりをどう構築していくかが課題となりそうだ。そして、安西の作品がその架け橋になる予感がしている。