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MURABANKU。土屋慈人のフジロック“前日譚”

出演者たちのフジロックは、本番前の長い長い準備期間からすでに始まっている……。今年、多くのアーティストを発掘してきた登竜門的ステージ「ROOKIE A GO-GO」に初出演したバンド、MURABANKU。リーダーの土屋慈人さんが書き下ろす、リアルなフジロック体験記。後編はその前日譚をノーカットでたっぷりとお届け。当日の様子を綴った前編はこちら

フジロック出演を後押ししてくれた2つの「なくしもの」

「フジロック前日譚」文・土屋慈人(MURABANKU。)

初めて「すべてをここに置いてきた」と思える体験をした。

青い明かりに包まれる苗場の空気が脳裏に今でも焼き付いている。

MURABANKU。のスチャラカコアが、目の前いっぱいに広がる人の揺れにきらきらと煌めいていた。

まさに”お守り”になるような、そんな瞬間をフジロックからもらった。

あれから約2カ月が経とうとしている。前編の「フジロック冒険譚」では当日の記録を文章にしてみた。

一方で、今回はよりパーソナルな視点から、あの時の日常を振り返ってみようと思う。

──────そう、これはMURABANKU。がフジロックに出演するまでに私が送った「前日譚」。そして、出演に向けて後押ししてくれたかのような2つの「なくしもの」に捧げるエッセイである。

①自転車

自転車が壊れた。お気に入りの自転車が壊れた。

ペダルを漕いでも前に進まない。もう地面を蹴って進むしかない。

夕暮れに染まる住宅地で、なんともシュールで不気味な光景であった。

ある日突然、一番身近な存在が私の日常からいなくなってしまったのである。

AAAAAAAAAA

特に何も起こらない退屈な日常に、虚無だけが拡張されていく。

忙しいのか暇なのかわからない毎日。いや、暇か。

畳んだままの布団に寝転び、何もない平日の昼の天井を眺め、何もないまま過ごしていた。しかし、このままでは良くない!と壊れた自転車のことをふと思い出し、近所の自転車屋さんへ持ち込むことにした。もう、あれから数カ月経ってしまっていた。

「あぁ〜ウチでは無理っすね」。目もくれずぶっきらぼうな店員さんからご一蹴をいただいた。カスタムの自転車ゆえに、作った場所でしか修理ができないらしい。とは言え、その阿佐ヶ谷のショップは徒歩でいける距離ではない。はあ、また別の機会か。一瞥もくれない店員さんに会釈だけして、そのまま引いて帰ることにした。

思い返せば、上京してからのこの5年間、この自転車とは多くの景色を見てきた。

渋谷でバイトをしていた4年間は片道15kmを週に何度も行き来した。青梅街道をとにかく走り、南阿佐ヶ谷の住宅地へと曲がる。幡ヶ谷に近づくにつれて空にビルの尾根が見え始める。坂を下り代々木八幡を抜けると、いつの間にか青々とした宇田川町へ。

私はこの朝の渋谷が好きだ。朝の静けさをビルが反射させてまるで「あわい」の中にいるようだ。当時バイトをしていたアンテナショップでは、スタッフも趣味に対してガチ勢の人ばかりで刺激的で楽しかった。

しかし、もちろん楽しいことばかりではなかった。無名のまま上京し、翌日からロックダウン。音楽活動もままならない。それにあまり口外もしたくないような散々なことも色々あった。

家から渋谷までの道を走ると、その頃の記憶がまるで昨日のことのように思い出されてしまう。まさに、妬み嫉み恨み辛みが呪いとなって道にこびりついているのだ。

これは道を変えるしかない。そう、2年前にはっきりと思った日があった。負の循環が加速して、その輪の外側へもう出られなくなるような気がしたのだ。バイト先は面白い人ばかりで居心地は良かったが、危うく自分の本分を忘れてしまう可能性もあるなと感じて、退路を断つ気持ちで辞めることにした。新しい道だけを作っていくことに気持ちを固めた。

それからやっと日常は動き始めた。バンドは新体制になり少しずつ軌道に乗っていき、憧れのアニメの仕事も叶えられた。2024年を思い返すと、走馬灯プレイリストに追加されるような、そんな瞬間が幾つもあった。そんな今までの道中をずっと共に乗り越えてきたのが、このお気に入りの自転車通称“Bダッシュ号”であったのだ。

去年の夏から今年の春にかけて、色んなお声がけをいただいて、いよいよバイトに入る時間もなくなってきた。とにかく机に向かう日々が始まったのだ。声をかけてくださったみなさんには本当に心から感謝している。

しかし、それらも一つずつと完成してプロジェクトが終わっていく。すると、また雲の切れ目から「やあ」と言わんばかりに虚無が顔を覗かしてくる。また何もない日常に帰ってくる感覚だ。

そんなお昼過ぎを街路樹に沿って、壊れたBダッシュ号と帰っている時のことであった。

なんとなくスマホを開くと、留守番電話が入っていた。あれ、なんか支払ってなかったっけ?通知を見てみると、AIが文字起こししたテキストが目に入ってきた。

もしもし、フジロック主催の────。

ん!?

自転車を止めて、慌てて折り返し電話をかけてみた。

「あ、もしもし、フジロック主催の────」

んんん!?!?!?

しかし、私ももう良い大人である。冷静に尋ねてみた。

「あ、すみません。これって怪しい電話じゃないですよね・・・?」

「いやいやいや!こちら主催しているもので、公式なので!ご安心ください」

まずい、過剰に丁寧な自己紹介をさせてしまった。公式なんて言わせちゃダメだよ!!絶対にかけなくて良い労力を使わせてしまった。私は無事、我に返り冷静さを取り戻して改めて尋ねてみた。

「え!?!?MURABANKU。がですか!?」

こうしてMURABANKU。のFUJI ROCK FESTIVAL’25「ROOKIE A GO-GO」への出演が突然何もない日常から決まった。

バンドメンバーに【緊急】とLINEでグループ通話をかけてみた。みんなは解散の電話かと思ったらしい。解散の連絡ってLINEのグループ通話でするものなの・・・?という疑問は一旦置いといて、みんな驚きのあまりリアクションが取れず、徐々に喜ぶというグラデーションが見えた。まさかMURABANKU。がフジロックに出ることができるなんて、メンバーの誰も想像できていなかった。それほど私たちは今の音楽シーンとの距離を感じてきたのだ。

お世話になっている方々にも連絡をしてみた。中には泣いて喜んでくれる方もいて嬉しかった。改めて今回のライブは全身全霊の全てをかけて「楽しいものにしよう」と腹が決まった。

電話をする中で恥ずかしげもなく自転車の話もしてしまった。そうでもしないと報われないと思ったのだろう。すると、とある方がこう話してくれた。「じゃあ、もしかするとその自転車が役目を果たしてくれたのかもね?」。

え・・・え・・・・!?

ビ・・・・

Bダッシュ号・・・ーーーーーーーーー!!!!!゚.· (` ˃ ᯅ ˂ ´) ·.  ゚゚.· ·.  ゚゚.··.  ゚

────────────改めて、これはMURABANKU。がフジロックに出演するまでに私が送った「前日譚」。そして、出演に向けて後押ししてくれたかのような2つの「なくしもの」に捧げるエッセイである。Bダッシュ号・・・もしかしたら君がこの道を切り拓いてくれたのかい?必ず、必ずやお金が貯まったら直すから。

──────────────────────────────────────────────────────────────────

②財布

フジロックへの出演が決まった。退屈で灰色な日常にも色彩が取り戻されていく。

やはり人間には目標が必要なんだな。ゾクゾクと無気力になりかけた心の底から込み上げてくる。そう──────打ち合わせ用資料を作ろうという欲求が!!

私は人と何かを作る時に起こる化学反応が好きだ。それが起こりうる最小公約数を見つけて、打ち合わせ資料としてメモをする。そして、実際に作り出すと膨らんだり破壊したり、数の色までもが変わることがある。そうやって、私は人と共闘して紙の上の妄想を現実にしていくことが大好きだ。

そう、何事においてもモノ作りの全ては”打ち合わせ”から始まるのである。

AAAAAAAAAA

”フジロックへの道 1-1”は資料作成から始まった。さあ、日常ハードコア、スタート☆

出演が決まったその帰路で、FUJI ROCK FESTIVAL '25におけるMURABANKU。のテーマだけがポンッと決まった。本当に荒野のような”何もない日常”、そんな中でも偶然音楽を通して繋がることができた音楽仲間たち(モノ作りサイド含む)とここまで来ることができた。だからこそ、“何もない日常”を音楽仲間、いや“音楽ともだち”と、自分たちのありのままをそのままアウトプットすることができたら一番リアルヒップホップな姿勢でフェスに挑めるのではないかと連想された。

「虚無の底をつっついたら“ただただ楽しい”は生まれる」ということをライブを通して体現したい。

退屈と同調圧力をインストバンドという当事者哲学で打ち砕くのだ。

それこそが私たちの提唱するジャンル「スチャラカコア」であり、MURABANKU。だからこそできるライブが、パツンと夕暮れに差し掛かる住宅地の地平線に見えた気がして書き留めた。それから、誤解かもしれないが、フジロックが選んでくれた意図をなんとなく感じ取った。

さて、ライブ当日までもう1カ月あるかないか。時間がない。本番の2週間前からは演奏・本番のことだけを考えておきたい。そうなると、もうこの数日で事務的なことは済ましておかなければならない。ふう〜〜〜、やるか・・・!1日3カフェはしごの日々を私は能面づらで駆け抜けた。

まずは担当の方に、撮影許可から色んな細かいルールを入念に確認する。そして、これまでずっと一緒にモノ作り、音楽作りをしてきた仲間へ依頼の連絡をお送りしてみる。それからスケジュールの大枠を作って、起こりえる問題を書き出して、それをさらに担当者さんに確認して、後にPDFにまとめる。

当日は本当に演奏のことだけに集中したい。そのために先回り先回りして問題を解決させておいた。

びっくりドンキーにてバンド会議を開催(来れない人はDiscordのビデオ通話で参加)。それぞれに仕事を分担してお願いしていく。また、その場で本番のメンバーの服装イメージを絵に描いて、大まかなシルエットと色の方向性をざっくり決めて任せていく。

文章にすると少し薄情な気もするが、やはり飲み会よりも打ち合わせの方が好きだ。確実に未来の束が集まっていく。

そして、メンバーそれぞれが進めてくれている中、私が次に解決すべき問題は音響面の確認だ。リスナーとして、良いライブだなと思うライブはやはり“音が良い”。そして、プレイヤーとして良いライブができたなと思う時は、お客さんの音への反応速度が速い時だ。

今回のライブでは、音楽の中で「しょうがねえな・・・」と笑ってもらえるような仕掛けを作りたい。そのためには演奏力もそうなのだが、音響面が整えばさらに伝わる可能性も上がるということだ。

お世話になっているプレイヤーの先輩や音響の仕事をされている方々から話を聞いて、対策とイメージを固めて、私自身の機材周りも大型アップデートを施した。

私はチープシックというあまりお金をかけず、アイディアでイケてるを構築する考え方が好きだ。しかし、優先順位が少し変わった。自分のことは二の次で、第一優先したいのは聴いてくれる人に如何に伝わりやすく、楽しんでもらえるかだ。
それ故の大型アップデートだ。”良い機器”をちゃんと集めて、でもその周囲にはちゃんとチープシックをサンプリングするように仕込んで、新しい音響面が整った。

強行軍の日々であったが、色んな心強い皆さんの協力のおかげで、後は提出物、ウェブサイト、グッズなどなどモノづくり方面に集中できる準備が整ってきた。

かつて学生の面接練習時に「集団行動が苦手です」と口を滑らし場を凍らせ、社会人を撤退した身であったが、今私は集団行動をしている。(((良くやるぜえ〜〜)))と茶々を入れてくるリトル私(ミー)は一旦喉の奥に引っ込めさせて、とにかく作業を進めていった。器が広くアイディア豊富な皆さんに私は救われている。

さてさて、次は告知に向けての準備、または各メディア媒体へ向けた提出物作りだ!

「今回、ラジオ用音声にインタビュー記事、どの提出物も全て手を抜かずにこだわって作りたかった」。そう言えたらもしかしたら格好がつくかもしれないが、その実──────怒られないギリギリのラインのおふざけを試してみたい・・・フフフフフ!!と私の悪趣味精神が猛烈に蠢き出してしまった。

ラジオ用音声は、ディズニーランドのトゥーンタウンの、ボタンを押したら音声が鳴る、あの遊びをやりたくて、1からちゃんとRECして提出してみた。私たちは完全にフジロックにおける“その他”枠である。1組くらいそういったバンドがいてもいいじゃないか。

意気込み映像もインタビュー記事も、DIYレベルではあるものの“無駄に完パケ感”を目指して作ってみた。提出の際は、もちろん相手を困らせることをしている、というある種の加虐性を自覚していますよ!という旨もちゃんと伝わるように「削っていただいて大丈夫です」「再提出もします」などと一言もそっと添えてメールをお送りした。

大丈夫だったかな・・・と緊張して返信を待っていたら「斬新でおもしろいです!」「全然大丈夫です!寧ろありがとうございます!」などといった、まさかの凄くポジティブな返信をいただいて、全部そのまま通ってしまった。なんて懐の深い人ばかりなんだ・・・!

そして、まさかのJ-WAVEの番組『GRAND MARQUEE』がフェス期間、完全密着してくれることになった。「もらった音声を聴いて、もうこの人たちだ!と決めました」とディレクターさんは笑って話してくれた。本当は、送ったメールを開封した人が「なんじゃこりゃ」と笑ってくれたら嬉しいなあ、とイメージして作ったので、それがちゃんと届いて嬉しガッツポーズであった。

中学生の頃ふざけた漫画を描いて、それを誰かに貸したら別のクラスの知らない人まで届いて、おもしろかったよ!と感想をもらえた、あの嬉しさを思い出した。

世の中の端っこ、またはその外側にいる感覚が常にするのだが、リアルヒップホップマインドと共にモノづくりを続ければ、きっと自分の外の世界にも繋がることはできるのだ。

MURABANKU。のヘンテコな文章や音声がプロフェッショナルな皆さんの”仕上げ”のおかげで無事世に放たれた。

提出物を作り終えて、新グッズ制作も佳境に入った。かつて共にアンテナショップでバイトをしていたHくんは、今やデザイナーとなり色んなキャラクターグッズを作っている。そんな彼にステッカーを作ってもらえることになり、フェスTシャツは新譜のアートワークを担当してくれた、台湾のPei Wenさんが作ってくれた。2人とはオンラインを介してやりとりを行い、雑談とマジ談が交差するような時間が楽しかった。いつか台湾でもライブがしたいなあ。

さらにこの時期、MURABANKU。の新譜『秋刀魚の味』の制作期間でもあり、Peiさんとはジャケ制作、映画監督の柴野太朗さんとはMV制作も同時並行で進めていた。何かを作る時にわざわざ集まって打ち合わせすることはもうかなりオールドスクールな作り方だろう。しかし、ここでしか生まれない化学反応がやはり存在するのだ。そう確信できるような瞬間があのMUJI CAFEではあった。新譜もMVもぜひお楽しみに!そして、最高のウェブサイトも爆誕したよ。ぜひ覗いてね!

協力してくれた皆さんのおかげで、いよいよフェス用アレンジへと制作が進んだ。

いつの間にか暗くなる吉祥寺をフラフラと帰る、日常ハードコア真っ只中。

AAAAA。今の私には自転車という存在がいないのだった。体力作りにもなるか、としかたなく徒歩で帰る日々。

しかし、たまにはバスにでも乗って小粋に行こうじゃないの〜とバスに乗ることを選んだ、そんなとある日のことである。(こっから!?)

バスに乗車すると階段の奥に座っていたお兄さんが立ち上がってこちらに視線を向けている。

ん?知り合いかな??

バスは走り出した。お兄さんは紛うことなきまっすぐな視線でこちらに向かってきている。

んん!?私は身構えた。

「多分、さっき財布落としてましたよ」

!!!!!!!!!!

周囲の視線が束になって、こちらに向けられている。

胸がキュッと持ち上げられた。

乗車している人々が一斉に反応したのだ。

しかし、流石はスプラトゥーン上位勢。私の脊髄の反射が光った─────

「まずは、ありがとうございます。それから・・・次のバス停で降ります」

痺れるだろう。私は微笑んで、まっすぐな目で彼にそう伝えた。

そう、私の脊髄は落とした財布を回収することよりも、その場を落ち着かせるということを優先してしまったのである。

もう少しその心理状況を順序立てて説明させてほしい。

そして、ぜひあなたの日常に役立ててほしい。

①当事者としての自覚をする

確かにポケットに財布がない。思い返せば、解決させないといけないことについてずっと考えていたので、その時の状況を全く覚えていない。こりゃ落としたな。

②オレンジ色の反射

このみんなの反応は、決して野次馬的な反射ではない。あれはオレンジ色、温度感のある反射、つまりは「心配」であったのだ。だからまずは、感謝をしたい。なぜなら帰りのバスなのだから!!帰りのバスなど、なんの焦りもなく、絶対に小粋に揺られてすごすべきだ。しかし、そんな中、彼らの日常からしたら部外者of部外者である私が「財布を無くした」という全人類共通の焦りワードによって、邪魔をしてしまった。それにもかかわらず温かい矢印を向けてくれたのである。これは感謝だ。

③乗車してるみんなをそれぞれの日常にちゃんと返したい

「ここは俺に任せて、みんなは先に行ってくれ」というセリフと「次のバス停で降ります」という一言は同義語なのである。みんなの焦りを一瞬で落ち着かせたい。みんな、早く安らぎのある帰路、日常に戻ってほしい。私の心からの願いである。なので、お店でケーキのでかいお皿にチョコソースで♡が描かれているような、プラス1ホスピタリティ精神としての“微笑み”を最後に浮かばせてみた。

どうでしょうか。これが財布を無くした時のライフハックだ。

バス発車後はすぐ赤信号で止まり、私は皆に背を向け車窓を眺めた。

その時、みんなのオレンジから一瞬赤に変わる空気を背中で感じたよ?

(((今すぐ降りて!?!?!?!?!?!?!?)))

私はすでに共感性羞恥の向こう側に立っていた。降りません、降りれません、てか、今すぐ降ろしてください。

私は、しばらく変わらない信号を見つめ、もらった分だけの視線を全て逃した。

流石に荷が重いよ。サッと「次で降ります」のボタンを押した。

しかし、バスであれだけの一体感を感じたのは初めてだった。空気が共鳴していた。

もし、この一体感をライブで作ることができたら─────。

バスは停車して、次のバス停で降りる人なんてもちろん私以外誰もいなかった。「あいつだ」「あいつだ」という無言に耐えながら、私は財布を落とした男性Aとして降車口へ向かった。すると、腰を下ろしたあのお兄さんと目があった。

私は会釈した。すると、お兄さんはグッドラックと親指を立ててくれた。

ありがとう、お兄さん、いや、兄貴。おれ、行ってくるよ!!

───────────────財布はどこにもなかった。

盗まれてん、じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

え・・・え・・・・!?

さ・・・

財布とmy個人情報・・・ーーーーーーーー!!!!!゚.· (` ˃ ᯅ ˂ ´) ·.  ゚゚.· ·.  ゚゚.··.  ゚

────────────改めて、これはMURABANKU。がフジロックに出演するまでに私が送った「前日譚」。そして、出演に向けて後押ししてくれたかのような2つの「なくしもの」に捧げるエッセイである。財布よ、おかげさまで身分を証明するものがなくなり“何者”でもなくなったよ。身体一つ。もう、身体一つで戦ってくるよ。だからお願い、必ず見つかってくれ。(泣)

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後日談

永遠というものは本当にないのかもしれない。

自転車もいつかは壊れてしまうし、財布が入っていた左ポケットはずっと寂しい。

ぽっかり空いた穴は埋めるべきなのか、そのままにすべきなのか。

そこを掘って、突き進むことによって得られる当事者哲学。

虚無の中にこそ「新しさ」はあるのかもしれない。

常時接続から切断されて“何もない日常”で見つけた、一歩手前の面白さ。

FUJI ROCKでのライブ中に思わず「虚無に揺蕩おう」と言ってしまった。

しかし、あの両手におさまらないくらいの人数で、一緒に虚無に揺蕩うという体験は本当に”楽しかった”。

同調圧力、退屈さからの脱却と解放が、あの瞬間にはあった。ただただ楽しかった。

しかし、いざ終わってしまうと“ニュー何もない日常”が「やあ」と顔を出してくる。

きっとこの先もずっとこの繰り返しなのだろう。

やってやろうじゃないの。

ハッピー虚無を作り出すには、冒険が必要だ。

今、そんなアルバム制作に取り掛かっている。

次は街中で、一緒に遊ぼう。

そして、また苗場の青い光に包まれる瞬間を心の底から楽しみにしている。

それまでは、机に向かう日常ハードコアをシュークリームと共に行く。

ありがとう、フジロック。

     

     

FUJI ROCK FESTIVAL '25
ROOKIE A GO-GO 7/26(SAT) 23:00〜
MURABANKU。 SETLIST