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伊東豊雄が設計し、o+hが改修。〈ムジナの庭〉の空間に宿るやさしさ

1979年に伊東豊雄が設計した住宅〈小金井の家〉が、2021年、就労支援施設〈ムジナの庭〉として生まれ変わった。改修を手がけたのは建築ユニットo+h。42年前と今、変化したやさしさと、色褪せないやさしさと。

Photo: Shin Hamada / Text: Masae Wako

建築のやさしさや居心地のよさが、心のケアにつながる。

“はけ”と呼ばれる段丘崖や森のような緑地が点在する武蔵野台地の住宅街。大木が聳える寺の脇道を進むと、植物に覆われた簡素なハコ形の建物が現れる。玄関の扉を開ければ、目の前には2階へ続く階段室。上階から、柔らかな光とかすかな話し声がふんわり落ちてくる。

「建築のやさしさが、私たちが抱えていた課題の突破口になりました」そう語るのは、就労支援のための福祉施設〈ムジナの庭〉代表の鞍田愛希子さん。植物を介した心と体のケアを続けてきた鞍田さんが、環境からのケアにもアプローチできる場を作ろうと考えていた時、偶然見つけたのがこの建物だった。

「窓からの風と光が気持ちよくて、植物を育てられる庭もある。10年以上探し続けていた建物に出会えた!と感激していたら、42年も前に伊東豊雄さんが設計した住宅作品だと聞いて、びっくりしました」

それは1979年に竣工した〈小金井の家〉。躯体は鉄骨立体格子のフレームで、間仕切り壁を自由にレイアウトできるフリープランの2階建てだ。伊東さん自身が「小さなローコスト住宅を、いかに社会へ開いていくことができるかを一生懸命考え、全エネルギーを注ぎました」と話すこの作品は当時、既製品の材料と明快な構造、簡潔な工法を採用することで、どんな住み方にも対応できる、社会に対してポジティブな住宅として造られた。

家を造る。
それは心の居場所を作ること。

伊東作品とは知らないまま、この住宅に惹かれた鞍田さんだが、実は理想の建築として思い描いていたのは、伊東さんによる〈みんなの家〉。

東日本大震災後、被災地に造り始めた仮設住宅プロジェクトだ。公共建築を、人が集まって語り合い食事を共にする「家=心の居場所」として捉えた〈みんなの家〉は、伊東さんいわく「それまでの自分の建築を問い直し、思いやりに溢れるやさしい建築を目指した試み」だった。

かくして〈小金井の家〉と出会った鞍田さんは、〈みんなの家〉にも関わった大西麻貴さんと百田有希さんによる建築ユニットo+hに改修を依頼。簡潔な構造は生かしつつ、1階個室の仕切りをなくして庭に面したキッチンにするなど、新たな空間作りに着手した。

「どんなプランにも対応する、ある種の商品化住宅として構想された〈小金井の家〉が、42年を経て新たな“みんなの家”になる。それができたら素敵だと思いました」と大西さんは言う。改修にあたってまず考えたのは、建物が積み重ねてきた時間を尊重すること。

「古いお寺が修復されてきれいな状態に戻るのを見ると、時を経て侘びた感じが良かったのに、と思ってしまう。今回は、この建築に宿る時間を否定せず、未来につなげるためのリノベーションを考えました」

例えばこの家の設計当時から、隣家との間には塀を立てず、周囲の家や森と連続するように庭が作られてきた。その環境を生かしたまま、1階キッチンと庭が窓を通してつながるカウンターを新設。庭で摘んだ果実やハーブを、カウンターで料理する人へ手渡しできるようになった。

「建物の持つ透明性も大事にしたかった。このみずみずしさは、光と風が生み出すものでもあるし、町から玄関、玄関から階段を通って2階リビングへ、と連続的につながる空間がもたらすものでもあるんです」と百田さん。階段を上った先に開ける2階はほぼワンルーム。3方の壁には水平に並ぶ連続窓があり、庭の木や町の緑が目に入る。

唯一の間仕切りは、吹き抜けに面した白い壁。壁の奥には和室が続いている。最初は、一目で全体を見通せる、つまり透明性が高まるように壁を抜こうと考えていた。ところが……。

「伊東さんに話したら、この壁はあった方がいいとおっしゃって」そんなわけで壁は残し、真ん中あたりに65㎝角の小窓を開けたのだが、百田さんはこの時、元の建築が意図していたやさしさに気がついた。

「2階に出た瞬間、壁の向こうに、ちょっと隠れられる場所があることが感覚的にわかるんです。ここにはいろんな居場所が、緩やかにつながりながら共存し、テーブルでみんなと過ごすこともできるし、壁の向こうで一人にもなれる。違う思いを持つ人同士が同じ空間にいてもいいんだと、視覚的に伝えている。とてもやさしいんです」

ただいま、おかえりが自然に交わされる空間。

以前の施主によってグレーに塗装されていた鉄骨の柱と梁は、オリジナルに近い黄色に戻すことにした。選んだのは「黄水仙」という日本の伝統色。窓から見えるイチョウの葉やユズの実に近い、柔らかな色彩だ。改修して明るくなった空間で数ヵ月を過ごした鞍田さんは、この黄色を穏やかな色だとも感じている。

「自然界に存在する黄色だからということもありますが、それ以上に、この空間だから穏やかに映るのだろうって思うんです。黄色は危険を喚起する注意色でもあるので、落ち着かない空間になったかもしれない。でもそうならなかったのは、人は建築の色を、色だけで感じているわけではないから。

一緒に過ごす人、聞こえる音、窓からの景色、光、風。すべて含めて色を見た時に、それはやさしい色にもなるし、強烈な色にもなる。この空間が圧倒的に“安心できる家”だから、黄色も穏やかに感じるんでしょうね」

東京〈ムジナの庭〉施2階リビング
〈ムジナの庭〉に通うメンバーは、日によってマチマチ。窓からの風が心地いい2階リビングでは、絵を描く、もの作りをするなど思い思いの作業に没頭。

最初に見た時からここに惹かれていた理由も、きっとその安心感。

「時間や季節によって景色や風の音が異なり、鳥の声も光の色も緩やかに移り変わっていく。ここにいるだけで、そのことがわかるんです。自然のやさしさを感じる空間では、目の前にあることに没頭できる。

今の日本では、社会や家庭で苦しい思いをしてきた人が、安心して休息できる場所があまりにも少ないし、人は未来や過去のことを考えてしまうから不安になるんです。私が思い描いていたのは、とにかく思考をストップさせて現在に集中できる場所。生活することそのものが心のケアになる場を作りたかったんです」

最近、この空間に通うみんなが、ごく自然に「ただいま」「おかえり」と口にする、と鞍田さん。
「ムジナの庭はどんな場所?とアンケートをとったら、“安心できる居場所”という回答があって、ああ、建築のやさしさはちゃんと伝わってるんだ、と胸が熱くなりました」

Before:1979年竣工
〈小金井の家〉

東京都小金井市に建てられた鉄骨造2階建て。日本を代表する建築家の一人、伊東豊雄による住宅作品だ。

鉄骨の柱と梁に、安価なアスロック(押出成形セメント板)の乾式壁を組み合わせたローコスト住宅で、伊東の代表作〈シルバーハット〉(自邸、1984年)にもつながる、社会に対して開いた態度の初期作品。
約150㎡の敷地の西側に建築面積約50㎡の小さな建物を配置し、周囲を広い庭としている。

After:2021年オープン
〈ムジナの庭〉

〈o+h〉が既存の設計を生かしながら、耐震補強も含めた改修を担当。2021年3月、精神疾患のある人のための就労支援施設としてオープンした。病院とも従来施設とも異なる、地域に開かれた場作りを目指す。平日はメンバーとスタッフが通い、庭の植物を使ったもの作りやお菓子作りなどの作業をして過ごしている。一般参加できるワークショップも不定期開催。ムジナとはアナグマのこと。