稀代のプロジェクト《KAGAMI》の仕掛け人、トッド・エッカートは早くから坂本のファンだ。1990年代に知人の紹介で坂本と知り合い、99年には日本武道館で上演されたオペラ作品『LIFE』を観賞するためだけに東京に飛んだこともある。
映画プロデューサーとして活躍していたエッカートと坂本の交流は続いていたが、転機となったのは、2016年にMRに特化した制作会社〈Tin Drum〉を立ち上げたこと。19年2月に、世界初のMRパフォーマンス作品として、パートナーでアーティストのマリーナ・アブラモヴィッチによる《The Life》で大成功を収めた彼が、坂本にプロジェクトを提案したのは同年10月。
「龍一は、MRによってこれまでの曲に新たな形でアプローチすることができるかもしれない、と思ったようでした」と当時を振り返る。その際、坂本に彼はこう伝えた。「坂本龍一のファンのためだけにこの作品を作るのではない。私がやりたいのは、あなたと新しい観客との関係性を作り出すこと。想定しているのは未来の観客です」。「すごいね」と坂本は言い、その瞬間、プロジェクトに命が宿った。
エッカートは、毎朝、マンハッタンにある自宅から8㎞ほどジョギングする。《KAGAMI》のハイライトの一つ、「戦場のメリークリスマス」の、宇宙とつながるイメージは、そんなフィジカルで孤独な時間から生まれた。だが一番難しく感じたのもこの曲だった。
「この完璧なメロディに、どう視覚的な要素を足せばいいのか?毎朝走りながら、龍一が録音した音源を聴き、曲そのものが語りだすのを待ちました」。そして1週間後、一気に台本を書き上げた。収録は、2020年末に3日間かけて行われた。「実は、キーボードでの収録を予定していたのですが、龍一は“グランドピアノで弾きたい”と強く希望したんです。もちろん、彼の意志を尊重することに」。グランドピアノの影になってキャプチャーできなかった顔の細部を再現するために、立体を再構築するソフトウェアも開発したという。
残念ながら完成した作品を坂本が見ることはなかったが、《KAGAMI》のプレミア公演は23年6月、NYの〈ザ・シェッド〉で行われた。観客が最初に案内されるスペースには、坂本の映像や写真、ステートメントが設置され、坂本が調香に関わった香が控えめに焚かれた。
「信頼や人々のつながりを伝える」という信念のもと空間はデザインされ、10曲の映像は、新たな観客との関係性を生み出すべく、若い世代を考慮してディレクションされた。今後、日本での公演も計画中だ。従来とは異なり、可動式の建築物を用意し各地で巡演するなど、作品をさらにアップデートする可能性を探っている。