Learn

Learn

学ぶ

作家・浦久俊彦が語る、牛タンから紐解くモーツァルト

モーツァルトの生誕地であるザルツブルクの名産品と社会的背景を軸に、ヨーロッパの歴史や、その時代の西洋音楽を学ぶ。

Illustration: Junichi Kato / Text: Yu Kokubu

「食」を切り口に
モーツァルトを紐解く

ブルータスがこの特集をするのは大賛成です。ぼくは音楽のジャンルを信じていないから。もし自分がレコード屋の店員なら、「B」の棚にビートルズとベートーヴェンを一緒に並べたい。

1970年代の日本をうまく表現したのが例えばユーミンで、20世紀を表現したのがビートルズだとすると、作曲家の仕事は「時代を音で表現すること」かもしれません。その視点で音楽を見ると、ビートルズがロックやポップスで、ベートーヴェンがクラシックだという分け方がナンセンスだと気づきます。

たとえ音楽に直接関係がない知識でも、当時の時代背景や作曲家の暮らしなどを知ることで音楽は立体的になります。例えば「食」を切り口にしてみましょう。

フランス語で「火にかけた鍋」という意味のポトフはヨーロッパの一般的な農民料理で、ショパンが愛したことでも知られています。ぼくがフランスのブルゴーニュ地方の小さな村で、電気もガスもない場所に3年ほど住んでいた時、照明でも調理器具でも、ほとんどのことに暖炉の火が欠かせないことを知りました。

その時に初めて、19世紀の作曲家たちがどんな暮らしをしていて、人々がどういう状況で音楽を聴いていたのかが実感としてよくわかった。それによって、音楽というものへの向き合い方が変わってくるんです。今回は「牛タン」から、ヨーロッパの歴史や、モーツァルトの生きた時代の西洋音楽に入ってみます。

モーツァルトの生誕地であるザルツブルクは「塩の城」と呼ばれ、同量の金と同等の価値があるとされた塩をめぐり、教皇の直轄地として繁栄を極めた塩の名産地でした。そのため、保存食として食品の塩漬けが広く浸透していた。小さな町にもかかわらず、この時代には二十数軒の仕出し屋があったとされています。

1782年8月31日、離れて暮らす父親に宛てた手紙が残されています。そこには、「お姑さんが恐ろしい」とか、「そもそも結婚したの言ったっけ?」と近況をひとしきり書いた後に、こんな記述があります。

「先日、お世話になっているヴァルトシュテッテン男爵夫人とザルツブルクの牛タンが素晴らしいという話で盛り上がりました。夫人が“いつか食べてみたいわ”と言ってくれたので、ぜひ送ってほしい」と。

その10日後くらいに書かれた手紙には、「お父さん4本も送ってくれてありがとう!2本は夫人にあげたけど、残りの2本は私と妻で食べちゃった!」のようなことが書かれています。
7歳の頃から天才少年として各地を巡り、おいしいものを食べ尽くしていた舌の肥えたモーツァルトが愛したのは、地元のご当地グルメ、「牛タンの塩漬け」だったのです。

ザルツブルクのご当地グルメを食すモーツァルト イメージイラスト
モーツァルトの大好物はザルツブルクのご当地グルメだった。

モーツァルトの時代に
流行したトルコ音楽

モーツァルトが生きた時代の音楽の話をすると、流行はトルコ音楽でした。
モーツァルトに「トルコ行進曲」という曲があります。当時、足でペダルを踏むと太鼓やシンバルのような音が鳴るピアノがあったんですけど、これって実は、ウィーンがオスマン・トルコ帝国の脅威にさらされていた話に通じるんです。

トルコ軍はシャーンシャーンという、トルコ風の音楽を鳴らしながら侵略したのですが、ウィーン側がその音を聞いただけで震え上がっていることに気づき、以降トルコ軍は音楽隊を先頭に介し、その音をより聞かせるように近づいた。

モーツァルトの「トルコ行進曲」には、太鼓やシンバルが遠くで鳴り響いているような部分があります。まるでその音の余韻が彼の中にトラウマとして残っていたかのように。

西洋から日本にクラシック音楽が本格的に入ってきて100年が経ちました。言語も違う、生きた時代も違う、置かれている状況も違う中で生まれた音楽です。なぜあの激動の時代にああいう音楽が生まれたのか?という社会的な背景を抜きに当時の音楽は語れません。

今では、ピアノを始めたらいきなりモーツァルトの楽譜があるので、まるで隣人のように、普通に接しているつもりになっていますが、我々は彼らの何を知っているの?と聞かれると何も知らない。
社会的・歴史的背景を知ることで音楽は立体的になり、血の通ったものになり、いろんな角度から見えてきます。

要するに音楽というものは、それ自体で成り立っていない。その土地に生きている人々の暮らしがあり、土があり、食があり、いろんな生活がある中に音楽がある。

だから入口は何でもいいのです。それが、たとえ牛タンだとしても。

おいしいモーツァルトの2作品

『Piano Concertos Nos.11, 12, 13』
内田光子、テイト&イギリス室内管弦楽団

『Piano Concertos Nos.11, 12,13』内田光子、テイト イギリス室内管弦楽

モーツァルトが父親に宛て「牛タン」を所望した時期に書かれた。当時の生活を知ったうえで聴くと新たな発見があるはず。

『アヴェ・ヴェルム・コルプス』
レーグナー&ベルリン放送交響楽団&合唱団

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」レーグナー ベルリン放交響楽団 合唱団

浦久さんは「おそらく音楽が表現できるすべてがある」と語る。『モーツァルト:レクイエム、アヴェ・ヴェルム・コルプス ほか』収録。