この秋、奇しくもローリング・ストーンズとゆかりの深い2人の女性アーティストのドキュメンタリー映画が相次いで公開される。一つは、9月12日からスタートする「Peter Barakan's Music Film Festival 2025」で上映される『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』。もう一つは、10月25日から公開のアニタ・パレンバーグの半生を描いた『アニタ 反逆の女神』だ。
ビートルズやツイッギーの登場以降「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれ、世界的なポップカルチャーやファッションの震源地となった1960年代のロンドンで、マリアンヌとアニタはモデルのジーン・シュリンプトン、女優のジュリー・クリスティ、デザイナーのマリー・クワントらと並んで、同時代の女性たちの憧れの対象であった。
まさしくこの時代のアイコンである2人だが、かたや、マリアンヌ・フェイスフルは、1946年ロンドン生まれのイギリス人で、1964年に「涙あふれて」でデビューした歌手。かたや、アニタ・パレンバーグは、1944年にローマで生まれたドイツ系のイタリア人で、60年代の前半、ニューヨークでアンディ・ウォーホルらと親交を深めたあと、ヨーロッパに戻りモデルとして活躍していた。
このように出自の異なる2人が出会うきっかけとなったのが、ローリング・ストーンズだ。
実は、マリアンヌのデビュー曲「涙あふれて」は、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの書き下ろし曲で、彼女はストーンズのファミリーと言ってもいい存在。そんな近しい間柄だったこともあり、マリアンヌは1965年に他の男性と結婚していたものの、その翌年ミック・ジャガーと恋に落ち、彼のもとに走る。
一方、アニタは、ストーンズの1965年のミュンヘン公演の際に、彼らの楽屋を訪ねていた。それがきっかけで、当時のバンドリーダーだったブライアン・ジョーンズと交際を始めたアニタは、「スウィンギング・ロンドン」全盛時のロンドンに拠点を移し、そこでマリアンヌと出会い親友となるのだ。実際、この2本の映画には、それぞれ2人の接点が描かれているくだりがある。
ただ、2人が凄いのは、単に「ストーンズの女」というような、メンバーの恋人という位置付けに甘んじることなく、持ち前の創造性や反逆精神から、彼らの音楽にも大きな影響を与える存在でもあったことだ。
ストーンズの「シスター・モーフィン」は、マリアンヌとの共作でもあるし、「ギミー・シェルター」や「無情の世界」にインスピレーションを与えたのはアニタだという。
また、2人は、映画の世界からもラブコールを送られるようになり、マリアンヌは『明日に賭ける』や『あの胸にもういちど』、アニタは『バーバレラ』や『パフォーマンス』(ミック・ジャガー主演)などで活躍する。
その一方で、ミック・ジャガーやブライアン・ジョーンズの影響もあり、徐々にドラッグに溺れるようになってしまう。マリアンヌがミックと破局し、アニタもブライアンと別れ、キース・リチャーズと付き合うようになってから、ブライアンが非業の死を遂げると、2人ともドラッグ漬けの日々を送り、かつての輝きを失っていくのだ。
しかし、一度は路上生活するまで身を落とし、ドラッグで声もボロボロになったマリアンヌは、1979年に『ブロークン・イングリッシュ』というアルバムで見事起死回生を果たす。
また、アニタは、キースとも別れた後、何とか人生を立て直し、1990年代にはセント・マーチンズでファッションの学位を取得する。そのファッション・センスは、あの一世を風靡したモデル、ケイト・モスのような熱烈な信奉者を生むほどだった。

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この2本の映画は、マリアンヌ・フェイスフルとアニタ・パレンバーグという、時代を切り拓いた先駆的な女性アーティストたちの生き方だけでなく、その時代のカルチャーも知ることのできる貴重な作品だ。特に、シックスティーズに興味のある方には、まさに必見である。