劇作家の仕事を始める前から、多くの映画に影響を受けてきました。映像的な演出や編集が入る映画は、演劇と比べれば、会話以外の要素が作品全体に与える影響が多い表現です。そのためセリフばかりに注目して観てきたつもりもないんですが、結果的に心に残るのは会話劇が面白い作品ばかり。
特に同じ物語の書き手としては、単なる綺麗な言葉より、うまさを感じたり、作品の中で際立っていたり、書き手の「このセリフを書きたい」との思いが滲(にじ)み出たりしている言葉こそ、強く印象づけられて、じわじわと心に沁みてきます。
“沁みるセリフ”として真っ先に思い浮かんだのがロマンス映画の粋なセリフ。以降の恋愛映画に影響を与えた『めぐり逢い』のラストシーンの(1)は筆頭です。
上ばかり見てたの
『めぐり逢い』'57/米
天国に一番近い所だけ
会話劇の名手ウディ・アレン作品からは(2)を。同じ『ハンナとその姉妹』では、“ハートって、とても弾力性のある筋肉なんだね”が有名ですが、好きなのはこちら。主人公ハンナの夫は、義理の妹に恋心を抱き、E・E・カミングスの詩集を贈って、(2)の一言とともに口説くんですが、実はチェーホフの戯曲『かもめ』のセリフが元ネタになっている。何層にも仕掛けがあるところにグッときます。
詩集の112ページを読んで
『ハンナとその姉妹』'86/米
僕の気持ちだ
クエンティン・タランティーノも会話劇の人。物語を前に進めるためでなく、それぞれの場面の面白さを追求してセリフを書いているであろう点に共感しています。『ジャッキー・ブラウン』では、終始軽快な会話の応酬が続く中、ラストシーンに出てくるのが(3)。タランティーノ作品には珍しく、大人の恋愛の情緒をしっとり表したこのセリフが、独特の存在感を放ちます。また流れの中で際立つ点では、(4)や(5)も。
あたしが怖いの?
『ジャッキー・ブラウン』'97/米
うーん、ちょっとね
知りたいか?
『イニシェリン島の精霊』'22/英
今のは…
ごまかせないな
指だ
アデルとエマ、女性同士の恋愛を描いた『アデル、ブルーは熱い色』は、ショッキングなほどリアルを追求した作品で、セックスや喧嘩のシーンも延々と描かれます。2人の一部始終を目にした観客はアデルがよく泣くことを知っている。ゆえに強い納得感がもたらされるのが(7)。克明に描くことが、リアリティという点でいかに説得力を持つかを思い知らされ、痺(しび)れました。
私は意味もなく泣くの
『アデル、ブルーは熱い色』'13/仏
そうね よく知ってる
私自身が普段脚本に向き合う時は、まず書きたい会話があり、それらを積み重ねて展開を膨らませる作り方をしています。ゆえに観賞者としても、「これが書きたかったんだな」と感じられるセリフに惹かれがち。特に社会への批判をうまく表した一言が沁みますね。
『自由の幻想』の(6)もその一つ。ソファに腰をかけたある男が、左右対称にものが配置された目の前の暖炉に向かって放つこの言葉は、権威主義的な様式美を皮肉っています。ハリウッドを風刺した(7)も同様に印象的です。
左右対称はもうたくさんだ
『自由の幻想』'74/仏
君は美しい 女優さんかい?
『バートン・フィンク』'91/米
バカね
最後に変化球ですが、(8)は、スポーツバーでの男女4人の会話の一節。「なんでここでわざわざこの話をするんだろう」と思うバカバカしさですが(笑)、“好きに書いてる感”が趣深い。会話自体を魅力的に成立させることに力を注ぐ作り手の映画は、何度も味わいたくなります。
どこの好きのベクトルっていうかまあ矢印か。
『違う惑星の変な恋人』'23/日
も交わってない状態なわけ。
え、ここまで問題ないよね?