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俳優・本木雅弘が語る、東京と僕。「東京に出て間もない頃から現在まで、自分を演じてきたステージ」

東京生まれだけでなく、地方から出てくる人にとっても、東京は特別な街となり、それぞれが抱いている原風景がある。ブルータスの創刊者・木滑良久を筆頭に東京を体現する男性たちに数珠つなぎで話を聞きに行ってみた。

Illustration: Shuichi Hayashida / Text: Kosuke Ide

東京に出て間もない頃から現在まで、
自分を演じてきたステージ。

1981年、15歳で芸能界に入って今年で39年になります。埼玉の田舎で育った僕が、東京へ初めて自分の意志で来たのは14歳の時、事務所に入るための面接で六本木に行った時だったと思います。それまでの東京はテレビや雑誌などで見るだけの「別世界」でした。

東京に出てきたばかりの頃は、当時のグループのメンバーと一緒に麻布の高速道路付近に住んでいて、東京はコンクリートの街というイメージを持っていましたが、ある日、雑誌の取材で代官山の旧山手通り沿いにある西郷山公園を訪れて、その緑がとても印象に残りました。

西郷隆盛の弟・従道の邸宅の敷地だった一部を利用して造られたこの公園の開園は1981年5月、ちょうど僕たちがテレビに出始めた頃です。

公園としてはさほど大きくない土地の中に、小高い丘があり、その下にある、中目黒方面の街並みを望む見晴らしの良いベンチに座って読書している人がいて。少しすると、自転車に乗ってやってきた人が、隣のベンチに静かに座る。だんだん空が薄オレンジ色に変わって、少しずつ街の向こうに日が沈んでいく。そんな様子を見ていて、「東京にもこんな場所があるんだ」と、若者なりに染み入るものがありました。

単に緑が豊かなだけでなくて、公園が街に溶け込んだ、コンパクトなオアシスみたいな雰囲気が気に入りました。当時の代官山にはヒルサイドテラスや大使館はもちろん、同潤会アパート、そして〈ハリウッドランチマーケット〉や〈温故知新〉などの小さく個性的な店が点在していました。こだわりのある生き方をしている大人たちが住んでいるけど、時間に煽られていない、落ち着いた街のムードが魅力的で、「いつかここに住みたい」と憧れましたね。

東京 西郷山公園 イラスト

その後、19歳で実際に代官山の周辺に住むようになって、西郷山公園にはドラマのロケやCDジャケットの撮影、雑誌の取材などで何度も訪れました。1995年に結婚してからはより近い場所に引っ越して、桜の季節にも雪の日にも来たし、また子育ても散歩も、喧嘩も息抜きも、みんなここで経験しました。

子供の留学を機にロンドンに住んだ時期もありましたが、数年前からまた東京に戻り、今も子供が帰国した際には、家族で公園を散歩することもあります。

高低差のある丘、緩やかな坂道の回遊路や長い階段、小川や滝、トンネルみたいな陰りがあったり……狭いながらも複雑な地形で、時間や場所によって、見えるものも感じるものも違う。そんな様子が、どこか人生の舞台装置のように思えることがあります。

父として、夫として、仕事人としてなど、人は誰でも自分の役割を演じているようなところがあると思いますが、この公園が僕自身の人生を演じてきたステージであり、また過去の折々の自分を思い出せるタイムマシンみたいに感じたりもします。

ロンドンの強い光に比べると、東京の光は靄がかってマイルドですよね。だからこそ、ふとした日常の瞬間の、曖昧でささやかな、優しい感情を大切にする気持ちが生まれてくる気がする。西郷山公園に来ると、何となく安堵して、次の人生の舞台では何があるのかな、と噛み締めるような思いに浸れるんです。