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その「声」の主は、誰であるか。百瀬文が個展『口を寄せる』で表現したもの

身体やジェンダー、セクシュアリティなどをテーマにした映像やインスタレーションを発表する美術家の百瀬文さん。彼女の個展『口を寄せる』が、12月10日より青森県の十和田市現代美術館で開催される。今回の展示のテーマとなるのは「声」。百瀬さんは次のように話す。

photo: Kaori Oouchi / text: Emi Fukushima

その「声」の主は、誰であるか

「ある研究によると、ジェンダーバランスがとれた国ほど、平均的に女性の声が低いとの結果が出ているそうなんです。つまり、声のテクスチャーは、生物的に生まれつき備わったものであると同時に、ある種社会的要因によって構築されていくものでもある。ならば後天的な構造物である声の何をもって、その性別は定義されるのか、興味が湧いてきたんです」

今回発表される新作《声優のためのエチュード》は、スタンドマイク1本が置かれた薄暗い空間から、声優が自由自在に操るさまざまなテクスチャーの「声」だけが放たれるサウンドインスタレーション。鑑賞者は、その声を聞くとその主を自ずと思い浮かべようとするだろう。

「日本のアニメでは昔から、少年の声を女性声優が担当するという独特な文化がありますが、果たして映像というキャラクターの視覚的情報がなくなったときに、あるいは“僕/私”という性別を示す主語がなくなって、比較できなくなったときに、人は声そのものを聞いて、何をもってその主体の性別を判断するのか、そのときどんな混乱が起きるのか。それを明らかにしてみたいなと思っています」

そもそも2013年の《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》を皮切りに、音声として、またはコミュニケーション手段としての声を掘り下げた作品を発表してきた百瀬さん。

近年は「声」をより広義に捉え、社会の中で「声を上げること」、さらには「その声は誰のものか」との問いに向き合っている。考えを深めるきっかけは、2016〜17年に滞在したニューヨークでの経験だった。

「当時はトランプ政権が樹立したばかりで、街中で火炎瓶が飛び交うくらい政情が不安定な状態。黒人やLGBTQなどの抑圧を感じたマイノリティたちが、それぞれのコミュニティで連帯して立ち上がるアイデンティティ・ポリティクスの強い流れを肌で感じる一方で、常に自分が、個人ではなく、日本人/女性というタグで見られること、タグで語ることを求められることに苦しさも感じたんです。

同じアイデンティティを持っていても、性別、年齢、人種など、諸条件はバラバラ。連帯して何かを語り大きな力に変えるのは重要だけれど、その連帯はあくまでも個別具体的な人々の集まりであるという両義性をきちんと尊重したいと考えるようになりました。例えば、声を上げるにしても、“私たち”と何かを代弁しようとするのではなく、極力“私”として語ることは意識しています」

この「声の主体」を模索する姿勢は、今回の展覧会のタイトル「口を寄せる」にも表れている。着想を得たのは、開催地・青森に根づくイタコ文化だ。

「“口寄せ”とは、イタコが主に死者を地上に下ろす儀式のこと。イタコは死者の声を翻訳・代弁しているように見えて、あくまでも媒介して、死者のそのままの声を発しているだけ。この行為を言葉で表す難しさは、私自身の“声は一体誰のものか”という問いとも呼応するなと」

美術家・百瀬文

複雑なものを、複雑なままに

身体、ジェンダー、セクシュアリティ、そして家族……、普遍的なテーマを捉え直し、芸術へと昇華させていく。自らが表現活動を続ける理由について「あくまでも、自分が見たいものを見たいっていう欲求が強いんだと思う」と百瀬さん。

「新作のサウンドインスタレーションも、正直まだ何が起きるのかわからない。でも何らかの正解を得ようというわけではなく、自分もそれを見て混乱してみたいんです。その根本にあるのは、人間という存在そのものへの興味。全く異なる欲望に引き裂かれたり、1年前と今とで違う発言をしたり。今はその矛盾が、その人の一貫性のなさとして許容されない世の中になりつつありますが、芸術の最大の特徴は、複雑なものを複雑なままに見せられること。どこか引っかかってしまう、矛盾を孕む魅力に満ちた人間の、あらゆる面を可視化していきたいですね」

『百瀬文 口を寄せる』

新作のほか、耳の聞こえない女性と耳の聞こえる男性の触れ合いとすれ違いを映し出す《Social Dance》や、百瀬さんの父親が173問の質問に答えていく《定点観測(父の場合)》などの過去作も展示。