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燃え殻「明けないで夜」最終回:どんな予定もまんべんなくうっすら行きたくない

小説家でエッセイストの燃え殻が綴る夜の周辺。J-WAVEの番組『BEFORE DAWN』と連携して、著者本人の朗読とともにお届けします。

illustration: Tomoko Hara / text: moegara

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どんな予定もまんべんなくうっすら行きたくない

会食の予定一時間前に先方から、仕事がどうしても終わらず、会食をキャンセルさせてくれという旨の電話がかかってきた。

「承知しました」とだけ僕は告げ、「ふ〜」と息を吐いてみる。そして、その場で「よし!」とガッツポーズを決めた。ここだけの話、どんな予定でも、なくなると嬉しい気持ちが湧いてきてしまう。それが直前だったりすると、たまらないほどに嬉しい。ドタキャンで悲しんだことは一度もない。行ったら行ったで、まーまー楽しくできるほうだが、そこに至るまでがとにかく難儀だ。

仕事の予定も、友達との飲みの約束も、まんべんなくうっすら行きたくない。行きたくないという気持ちだけは徹底している。好き嫌いで選んでない。全部うっすら平等に面倒だ。一番心穏やかになれる瞬間は、「明日はなにもない」ということが確定している夜に、ベッドに入って眠りにつくときだ。

予定をパンパンに詰めないと落ち着かない、というライターの知人がいる。なんだか生きづらそうだなあと思っていたが、その知人から「どれもこれも面倒を抱えながらこなしていて、とにかく生きづらそうですよね」と先に言われてしまい、もう出口がない。これはもう性分なので、今生は仕方がないと思っている。

ただ、この「まんべんなくうっすら行きたくない」という姿勢が一度だけ、吉に出たときがあった。工場のアルバイトをしていた頃のことだ。そのとき好きだった女性と、映画を観に行く約束をした。彼女もうっすら僕のことを好きでいてくれていた気がする。

当日、映画館が入っている商業施設の前で待ち合わせをして、彼女が来るのを待っていた。彼女は、映画が始まるギリギリになって現れた。エレベーターに乗って、映画館のある最上階に向かう途中、彼女がおもむろに「言いづらいんだけどさ……」と話し始める。

エレベーターの中は、映画館へ向かう人たちでパンパンだ。「私さ、ギリギリになると全部キャンセルしたくなるんだよね……」と小声で言った。

「えっ?」と返す僕に、「映画観たくないかも」と言う彼女。僕は待ってましたとばかりに、「一緒!」と結構大きな声で答えてしまった。狭いエレベーターの箱の中。ギュウギュウに乗っている人たちが、一斉にこちらを見る。彼女が肩を震わせながら笑いをこらえていた。

僕たちは途中のレストラン街がある階で降り、洋食屋に入る。ふたりでハンバーグランチを食べて、パフェまで頼んだ。彼女はそのとき、いかに今日来たくなかったかを、当人の僕に力説してくれた。「実は僕も来たくなかった。君のことが嫌いとかじゃなくて……」と、僕も熱を込めて話した。

「まんべんなくうっすら行きたくない」という性質が、初めて役に立った瞬間だった。というか、初めて同じ性質の人に出会えた瞬間だった。でも、それから数ヶ月後、気づくと不意に彼女はいなくなっていた。連絡が取れなくなったとき、僕はひとり、「わかるなあ」と哀しみながら共感してしまった。

向き合って食事をする男女のイラスト

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